表題番号:2002A-827 日付:2004/12/25
研究課題1820‐40年代における「チェコスロヴァキア国民」概念の形成過程
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 第一文学部 助手 中澤 達哉
研究成果概要
 本研究は、1810年代から20年代の北部ハンガリー(現スロヴァキア)の福音派のチェコスロヴァキア主義者によって措定された「チェコスロヴァキア種族」(ceskoslovensky kmen)概念を重点的に検証した。この概念は、近代の北部ハンガリーにおいて構築された最後のゲンス概念であると同時に、最後のナティオの編成例であった。当概念は、伝統的なナティオ概念の特権社団性を払拭することをめざしつつ、一方で、公用語であるラテン語に代えて俗語による議論の再構成をも企図した。こうした重層的な意図のなかで、近代「国民」概念の原型となるチェコスロヴァキア主義者の「ナーロト」概念が措定されていくことになる。
 本研究の成果は、特権身分層に限定される後期中世以来の伝統的なナティオ概念が、福音派のチェコスロヴァキア主義者によって、いかなる論理をもってその社団性を概念上払拭し、言語集団全体を含み込むようなナーロト概念に転化していったのか、その過程を究明した点である。とりわけ、啓蒙的理性に裏打ちされたナーロトの生存権の定立、祖国概念の再定義、女性のシンボル化によってその論理が構築されていることが解明された。こうした論理によって、言語集団全体を含むナーロト概念、すなわち、伝統的なナティオ概念から除外されていた広範な非特権層、なによりも「女性」を含み込む概念が初めて措定されたのである。下層民や女性を含む構成上平準的なナーロト概念の初の提示は、ナーロトの「解放」や「復興」ではなく、ナーロト概念の「下方拡大」という意味において、近代「国民」概念の形成史における極めて重要な位置を占めるのである。
 本研究は、早稲田大学史学会編の『史観』第150冊(2004年3月)に寄稿することをめざして、現在、論文化の過程にある。