表題番号:2002A-126 日付:2003/05/08
研究課題16世紀における英露交渉史の研究―リヴォニア戦争の展開とその影響について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 語学教育研究所 教授 諸星 和夫
研究成果概要
 本研究は、16世紀の英露交渉史を主題にした研究の継続部分にあたり、関連資料の収集とその分析を通じて、主にリヴォニア戦争の展開とその影響について考察することにある。ここで、特にリヴォニア戦争に着目したのは、それが近代ヨーロッパにおける初期国際紛争のひとつであり、そこに巨大なハンザの利権が関係していたこと、一方、後期チューダー朝のイギリスにおいても、ハンザと冒険商人たちの確執が問題化し、やがてロンドンのハンザ商館であるいわゆるスティールヤードの閉鎖を招来したこと、この動きが、15世紀末のノブゴロドのハンザ商館閉鎖に酷似していること等々の連想が働いたからである。
 本研究は1558年の年頭に勃発したリヴォニア戦争をめぐって、従来ほとんど省みられることのなかったロシアとイギリスの連携の可能性を探ることを主題にしている。この一年間の研究では、以上の主題を開拓する上で必要とされる基本資料の収集に主な時間を割かざるを得なかった。その主な成果として、探索の結果、基本史料のひとつであるルソウの年代記の原本および英訳本を取得したほか、E.Tibergの一連の仕事を手元の参考文献として加えることができた。とりわけ、ながらくその所在が不明であったルソウの英訳本を入手した意義は大きい。もともとルソウの著作は低地ドイツ語で書かれ、その解読には専門家ですら相当の努力を強いられるからである。Jerry C. Smith ほかによる英訳本の存在は、その精密な注釈と併せ、研究に格段の進展を促すことになった。
 とはいえ、事柄の性質上、また時間的な制約の点からも、この一年間で進めることができた研究の範囲は、結果的には、当初の計画のごく一部に過ぎない。かかる研究の遅延には、とりわけ、2003年春に実施を予定していた資料調査を、惜しくも、職務上の都合から断念せざるを得なかったことが大きく響いている。かかる事情にもかかわらず、研究は可能な限り継続的に進められ、その結果、以下のような点を確認することができた。すなわち、ノブゴロドのハンザ商館閉鎖に当って、そこを追われたハンザの勢力はリヴォニアに移動するが、ここでは、当地の商人たちはすでにそれ以前から独自の動きを示している点で、必ずしもハンザ本体の動きと同一視できないこと、従って、ロシアとイギリスが常に同じ対象を敵視していたことにはならないこと。ただし、その場合でも、国際商業取引では後進国とも言えるイギリスとロシアが、いわゆる仲買人の存在に大きな障害を覚え、自国商人の健全な育成を阻むものと見ていた点では、両国とも極めて似たような状況下にあり、そのレヴェルにおける利害の一致があったのではないか。筆者はなおこの考え方を捨て去ることができないでいるが、その詳細な調査については、残念ながら、いまだその途上にあると言わざるを得ない。なお、リヴォニア戦争の経過の中で、ロシアのナルヴァ占領が実現した際、その権益をめぐって、ロシア・カンパニーが執拗な主張を繰り返したこと、その結果、いわゆるインターローパーが少なくとも外交上は不当とみなされ、カンパニーの独占が確保されたこと、さらに、この戦争に関わるイギリスのロシアへの軍事支援が間接的に処々で示唆されていること等々、本研究については、さらに具体的な戦争の経過を精査することでしか解決され得ない諸問題があることを付言しておきたい。
 本研究に関わる成果の一部については可及的速やかに公表するつもりである。