表題番号:2002A-026 日付:2003/05/07
研究課題第1次世界大戦終了時におけるデンマーク急進左翼党の対ドイツ政策
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 第一文学部 教授 村井 誠人
研究成果概要
 第1次世界大戦の終了当時,デンマークでは急進左翼党が社会民主党の支持のもとに政権を担っていたが、隣国ドイツの敗北という事態にデンマーク国内では一挙に戦勝国フランスの支援のもとにかつてドイツに「奪われた」スリースヴィを、時代状況に乗る形でできるだけ広い地域をもって、取り戻そうとする機運が醸成されつつあった。その事態は,コペンハーゲンのインテリ層を支持母体とする急進左翼党の政策とは正反対のものであり,同党の方針は、保守国民党・左翼党が押し進める、将来のドイツ復興後の事態を恐れない楽観的な「旧デンマーク領土」の返還を求めた国境修正の要求を、なんとしてでも押しとどめようとするものであった.敗戦国ドイツに対し,対戦中に中立を貫いたデンマークが,いわば戦勝国側の承認のもとにフリーハンドで「祖国復帰」地域を設定できる状況にあって,急進左翼党政府が、いわば「禁欲的な」領土政策を外的状況が彼らの目指そうとする方向以外にありえないという状況を「演出して」、内政・外交ともにある種の禁欲的必然状況を作り出していった、と言えるのではないだろうか.
 その方法とはどのようにしたのであろうか.
まずは,禁欲的領土要求に基づく国境修正こそが,世論であるとする署名活動。その宣言文,すなわち「十月宣言」の作成と意図的な「不発表」。敗戦国と戦勝国間の総括的講和に先んじるドイツによる「自発的」北部スリースヴィの返還提案の画策。それに対する水面下での努力。復帰地域を限定することになる住民投票への動きにゴーサインを与えるドイツ外相による書簡(「ゾルフ書簡」)下書きの作成。そして,それらは政治家ではない人物,コペンハーゲン大学歴史学教授オーウェ・フリースによる,一連の隠密行動によってなされた観がある.