表題番号:2001B-004 日付:2003/05/16
研究課題”民族走廊”からみた羌・低の遷都と巴蜀文化
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 第一文学部 教授 工藤 元男
(連携研究者) 文学部 教授 菊地 徹夫
(連携研究者) 文学部 教授 吉田 順一
(連携研究者) 文学部 教授 福井 重雅
(連携研究者) 元四川省民族研究所 研究員 李 紹明
(連携研究者) 四川大学芸術学院 副教授 盧丁
研究成果概要

本研究は羌・テイが民族走廊に沿って南下し、四川地域に遷徙してくる過程で、巴蜀文化に如何なる影響を与えたかを検証したものである。
その成果の一部は『長江流域文化研究所年報』創刊号(2002年7月)に公表した。その中の李紹明論文「キョウとキョウ竹杖」、および工藤元男論文「蜀布とキョウ竹杖」(原載、『早稲田大学大学院文学研究科紀要』第47輯・第4分冊、2002年3月)は、張騫が大夏で目撃した蜀布とキョウ竹杖が何であったかを実証した。両者の解釈は必ずしも一致していないが、とくに後者の工藤論文はキョウ竹の自生する四川南部の彝族地区(雷波県)で現地調査し、さらにこの問題を通じてテイ族に比定される古代西南夷のキョウ都の問題を検討した。訳注「『後漢書』南蛮西南夷列伝訳注(1)」は、古代西南夷に関して最も詳細に記された民族誌である同篇を、大学院の「東洋史学特論(2)」で講読したものを纏めたものである。そして水間大輔「陥河・張亜子説話の歴史的展開」はこの講読から生まれた研究成果の一つであり、キョウ都の故地に伝わる陥河・張亜子伝説の歴史的展開と道教の文昌帝君との関係を解明したものである。調査記「2000年度秋の大渡河流域ボン教経典の調査日誌」は、古代テイ族の後身と目される白馬チベット族の宗教職能者が有する経書の淵源を尋ねて、大渡河流域のボン教寺院を調査した記録で、これによって白馬チベット族の経書がボン教に由来することを明らかにした。その成果は盧丁・工藤元男主篇『中国四川西部人文歴史文化綜合研究』(四川大学出版社、2003年1月)において公表した。
また口頭発表として、2001年3月24日、東洋史懇話会で報告した工藤元男「神話と移動」は、現在の羌族の間に伝承されている史詩“羌戈大戦”をヤオ族や客家の移動伝説と比較しながら、その伝承の古さを検証した。