表題番号:2001A-841 日付:2002/05/09
研究課題詩の翻訳不可能性について(序):仏現代詩の場合
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育学部 専任講師 丸川 誠司
研究成果概要
研究課題は、フランスの第二次大戦後の世代で最も重要な詩人達、とりわけジャコテ、ボンヌフォワ、デュブーシェ(これにドイツ人だが仲間だったツェランも加えられる)の全てが、散文に比較すると極めて困難な詩の翻訳に関してどういうビジョンを持っていたかを考えることであった。これらの詩人は例外なく、極めて積極的に外国の詩の翻訳に携わっており、しかも翻訳は時として数カ国語に及んでいる。「詩は音と意味の間のためらいである」というヴァレリーの言葉を受け、音と意味の両方を同時に生かすことのできない故に詩の翻訳はほぼ不可能であるとよく言われるにもかかわらず、この世代の詩人がなぜあれほど色々な時代と言葉の詩の翻訳に集中的に関わることになったのかを考えてみる必要があった。昨年夏に研究を開始し、最初はG.スタイナーの「アフター・バベル」及びA.ベルマンの「異邦の試練」の熟読により、(とりわけ独ロマン派を中心とした)ヨーロッパにおける翻訳の歴史的な背景がわかった。引き続きベルマンのJ.ダンの翻訳に関する著作を通じ、私の対象とする世代の詩人の翻訳が戦後のフランスにおいてどういう意味を担っていたかを把握した。また夏の渡仏で、G.ムーナン等一連の翻訳の問題に関する資料を図書館で入手した他、詩の翻訳に関するボンヌフォワのエッセイを集めた「翻訳者達の共同体」という新しい貴重な文献を入手した。このタイトルと、中の「概念は普遍的だが、言葉は身体であり、翻訳できない」という一文に、この一年の重要な成果であり、これからもう少し時間をかけて明らかにしてみたい仮説の手掛かりがある。この世代の詩人はあらゆる思想に幻滅した世代であり、特にシュールレアリスムの主張した共同体の思想を退けていた。目に見える形での共同体の思想は最早信じられないが、バタイユの言う「共同体を持たない者の共同体」があり得る。それは人間に共通する最後の財である言語と、その最も重要な記憶の形の一つである詩を通じて描かれる形のない共同体である。ベンヤミンが、翻訳の意義は原作の(形を変えての)「存続」にあると強調したのはこの文脈で重要である。これらの詩人は20世紀に複雑化したバベル的な状況―この世紀は作家の母語とその所属する国あるいは民族の間に大きな亀裂が生じた時期でもあった―と、戦争による全ての財の崩壊の中で、一種の渡し守となって、危険を承知の上、簡単に運べないものを運ぼうとしたということができるだろう。