表題番号:2001A-810 日付:2017/06/02
研究課題ジャック・デリダにおける「場」の理論――プラトン『ティマイオス』の解釈をめぐって
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学部 助教授 守中 高明
研究成果概要

ジャック・デリダによる脱構築の戦略――それは、体系的一貫性を目指しあるいは自負する哲学的テクストにおける、しばしば当のテクスト自体が無意識な、あるいは抑圧し、あるいは忘却している、そんな異質性を再‐刻印し、その還元不可能性を一つの出来事として露出させることに存する。プラトンの哲学が内包するそのような異質性とは何か。『ティマイオス』において言及される「コーラ」こそはその名である。「あらゆる生成の、いわば養い親のような受容者」としての「コーラ」を、プラトンは「叡智的なもの」でもなく「感性的なもの」でもない「第三のジャンル」と呼んでいるが、デリダによれば、これは存在者の三つ目のジャンルではなく、存在の反対物=非存在でもない。また、プラトンの語りの中でフィクションとして想定され、やがてしかるべきやり方でロゴスへと止揚される神話素なのでもない。それはそれ自体としてのいかなる実質も欠いた何か、ロゴスの言説によってはただ「~でも~でもない」としか表現され得ないような非‐固有性そのものであり、したがってそれは弁証法に対してある特異な関係を持っている。つまり、それは弁証法的な二項の対立措定のいずれにも属さず、しかし、当の対立措定がそこから発してはじめて可能になるようなある運動性であり、いわばそれは対立措定の非‐対称的な「外部」を構成しているのである。存在論的文法をその非‐固有性の法によって攪乱すること――それこそが「コーラ」の効果なのである。  プラトン自身によって書き込まれたプラトニスムの外部への通路である「コーラ」から発して、われわれはさまざまなジャンルにおける「場」の理論を再検討することができる。たとえば精神分析、建築、さらには公共空間のあり方(移民・難民の受け容れ、路上生活者の権利等)まで、「コーラ」に準拠するとき、それらの通念は根本的刷新を余儀なくされるだろう。