表題番号:2001A-133 日付:2002/05/10
研究課題イギリスにおける公務員法制の変容
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学部 教授 清水 敏
研究成果概要
  本研究の課題は、1979年以降のイギリスにおける行政改革が公務員(Civil Servant)の勤務関係を支える法原理といかなる関係にあったかを主として判例理論を通して考察することである。
  イギリスにおいて19世紀末以降、公務員に身分保障があり、解雇に手厚い保護が存在するといわれてきたが、これはあくまで「事実上」または「運用上」の問題であり、法的には国王大権にもとづき「解雇自由の原則」が支配していた。したがってイギリスでは1971年の労使関係法が制定されるまで、公務員には身分保障(または雇用保障)は法的に存在しなかった。しかしながら、主として20世紀前半に確立したホイットレーシステムの概して円滑な機能によって、事実上、公務員の身分は手厚く保護されていた。そのため公務員が法的に無権利状態にあることは、大きな争点となることはなかった。
  しかし1979年以降の保守党政権によるドラスティックな行政改革は、公務員が無権利状態にあることを表面化させることになった。すなわち、行政改革にともなう公務員の解雇は、労使間の紛争をもたらし、公務員労働者は1971年法によって設けられた不公正解雇制度にもとづく救済を申請した。しかしながら、多くの場合、行政改革を理由とする解雇は救済を受けることができず、また稀に救済を得られた場合にも、金銭的賠償に限定され、職場復帰は実現しなかった。
  これに対して公務員労働者は、1977年の最高法院規則53号の改正によって導入された司法審査申請による救済手続きにもとづき職場復帰を実現しようとした。ここでの判例理論上の争点は、公務員の法的地位が雇用契約上の地位か否かであり、雇用契約上の地位にあれば救済の対象とならないというものであった。そのため80年代後半において公務員の勤務関係は、雇用契約に基づくものであるか否かが判例上の争点となった。判例は、しばし動揺したものの、最終的には、1991年のNangle判決によって、勤務関係の法的性質を「雇用契約関係」とする判断を確立するに至った。この判決は、法的には公務員について民間労働者以上の雇用保障が存在しないことを宣言したものであった。また、本判決は80年代の政府の一連の改革を法的に追認するとともに、90年代初頭から労働党政権誕生までに展開された諸改革を法的に支える役割を果たしたといえよう。
  ところで、現在わが国では公務員制度改革が急ピッチで進行中であるが、以上の研究作業はわが国の改革を考察するに際し、興味深い示唆を与えるように思われる。
  なお、本研究の一端は、本年7月25日発行予定の「社会科学総合研究」第3巻1号に掲載の予定である。