表題番号:2001A-029 日付:2002/03/13
研究課題初期中世ポーランドの国家・社会構造-公の権利体制-の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 井内 敏夫
研究成果概要
初期中世のポーランドの住民は、法的な観点からみれば、まず二つのグループに大別できる。公的な国家権力に服する住民と、奴隷に代表され、主人の私的な財産とみなされる住民である。公権力に服する住民は、さらに、農民的住民と軍事奉仕を主たる義務とする戦士・騎士的住民とに分かたれ、その内の農民的住民は純然たる農民的地位にある一般農民と特殊な役割(officium)を課された民とに分類できる。本研究では、これまで、この一般農民に課された諸貢租や奉仕義務(いわゆる「公の権利の諸負担」)の内容を国家の財政という観点から分析してきた。今年度は公権力に服する農民的住民の内で特殊な役割を課された民について主として研究を行なった。 
この種の民は、史料でミニステリアーレスと総称されるが、同時に受け持ちの役割から発する名称をもっており、そこから彼らの職種が分かる。それによれば、彼ら「公の奉公人」は一般の農民が供出できない手工業製品(鍛治工、弓矢作り、盾作り、橇工、舟大工、大工、靴工、金細工、桶作り等)や種々のサーヴィス(台所番、パン焼き番、洗濯番、醸造番、給仕番、馬番等)、狩猟関係のサーヴィス(射手、ビーバー番、犬飼、鷹番)、特殊な食品(蜂蜜番、ぶどう栽培人、漁夫)を提供する義務を負っていたが、畜産に従事する者(馬の交配係、牛飼い、豚飼い、羊飼い)もいた。彼ら奉公人の職務は世襲であり、その負担は一般農民に比べてかなり軽かった。この奉公人の集団は共通する独自の権利をもっていたと考えられ、比較的軽い世襲的な義務の外に、生計の糧となる自分の土地に対する強い保有権と相続権がその根幹を成す。その特殊な義務ゆえに、君主や国家に対する彼らの従属度は強かった。すでに11世紀には修道院に寄進される例が見られ、また13世紀には寄進されてその負担の内容を通常の農業的な品目に変更されたり、父祖の相続地から別の土地に移されることもあったが、代替義務は一般農民の義務よりも軽く、また父祖の土地への帰還を求めて訴訟を起こし、その訴訟に勝つことさえあった。職種に由来する集落名が今日でも400ほど残っているように、公の奉公人は同一の義務を持つ者だけで村を形成する場合もあれば、一般農民に混じって居住する場合もあった。住民に占めるその人口はかなり大きかったと考えざるを得ない。