表題番号:2000A-828 日付:2002/02/25
研究課題近代日本における余暇・レクリエーション概念形成に関する史的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育学部 専任講師 坂内 夏子
研究成果概要
 社会教育において余暇といかに向き合うかという問いが発せられて久しい。この点に関して権田保之助の娯楽論を手がかりに考察を重ねた。近年は労働時間の減少に伴う余暇の「増加」現象が指摘される。余暇が社会経済状況と無関係ではあり得ない所以であろう。その一方で「地方分権」・「規制緩和」の推進において強調される「自己責任」のもと、余暇は民間任せ、個人任せの向きに傾きがちである。なぜ余暇の充実が叫ばれつつ個人レベルの問題として「解決」させようとするのか。社会教育をいかに捉えるのかという課題にもつながろう。権田の娯楽論には、社会教育において余暇問題といかに向き合うのかという視点が見出せる。彼が民衆娯楽の「自己目的性」(=娯楽それ自体を追求することであり、労働や生産の能率向上を第一の目的とはしない)を主張した一方で、興行的かつ営利的をその特質する民衆娯楽の大量生産、供給、配給過程から娯楽公営化の方向を導き出した点をいかに把握するのかという課題に関わっている。権田自身、この点について十分に論じ尽くしきれていないゆえに先行研究では論の変質、限界が指摘された。これらに学びつつ権田の論の「民衆娯楽」から「国民娯楽」への過程をいかに跡付けるか、彼が提起した娯楽の公営化を追究する必要があると考えてきた。
 歴史的に見て、余暇が労働との対比において語られ、その「善用」が説かれてきた背景には教育の近代化があり、近代社会教育の成立もその過程に位置付く。つまり教育の近代化という枠組みにおいて論じられる過程で相対化された娯楽をめぐる思考は西欧化・合理化を軸に展開されたのであろう。権田は余暇問題を観念(=「余暇善用」というイデオロギー)のレベルではなく、民衆生活そのものに由来する、社会的・経済的事実として捉え、社会教育は何ができるのかを追究している。つまり余暇問題の考察には教育の論理が不可欠なのである。以上より本稿では権田を社会教育論者と位置付け、彼の論を読み解くことを試みたのである。
 今後は権田研究を通して見えてきた課題を深めるべく、社会教育とレクリエーションについて、「体育・レクリエーション」、「労働・レクリエーション」、「公園・レクリエーション」、「レジャー・レクリエーション」という角度から研究を深めていきたい。