表題番号:2000A-826 日付:2002/08/22
研究課題中国の対外政策における歴史的継続性
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育学部 専任講師 青山 瑠妙
研究成果概要
 中国の対外政策における歴史的継続性に対する研究の一環として、今年度は1950年代前半における中国の対台湾政策について考察を加えた。
 1950年代における中国の対台湾政策は一般的に1955年あるいは1956年を一つの分水嶺とし、それ以前は「武力解放期」、それ以降は「平和解放期」とされている。しかし、このような時期区分のもとでは、朝鮮戦争の中国の対台湾政策に対する影響への着目は十分とは言いがたい。筆者は従来「武力解放期」とされている1949年から1955年までの中国の対台湾政策について詳しく考察を試みることによって、中国の対台湾政策に対して朝鮮戦争が決定的な影響を及ぼしたと指摘したい。
 1949年初頭から1950年朝鮮戦争勃発まで、中国は全国解放を最大の課題とし、ソ連の援助に依拠し、慎重に台湾を含めた沿海諸島の解放を進めていた。しかし、台湾解放より朝鮮問題を先決するというソ連と北朝鮮間の密約がなされ、これが中国の台湾解放スケジュールを狂わせた。中国がこのソ連と北朝鮮の約束に同意したのは、台湾解放においてソ連の援助が必要不可欠であるがゆえにソ連への配慮が働いたためであるが、さらに、台湾解放にはまだ2、3年の準備期間が必要であるという中共中央の判断があったことにも注目が必要である。
 朝鮮戦争の勃発によって、アメリカが台湾海峡の中立化を声明したが、このアメリカの介入で中国の台湾解放政策が大きく転換した。朝鮮戦争まで、武力で台湾解放を推し進めた中国は、朝鮮戦争勃発、そして、朝鮮戦争終結後も、台湾解放を長期的な視点で考慮し、アメリカの軍事プレゼンスが存在する限り、台湾解放が難しいという認識を持つに至った。そのため、1954年に行われた金門砲撃と大陳島解放作戦は別々の文脈で考えるべきである。金門作戦は金門、さらに台湾を解放するための軍事作戦というよりも、中国の外交、政治作戦であった。大陳島作戦は中国が1953年以来展開していた対中封鎖打破のための外交戦略の一環と考えられる。
 1950年代における中国の対台湾政策はまさに目下の中国の対台湾政策の原点であり、1950年代における台湾に対する中国の情勢認識や台湾への外交攻勢の手法も歴史の荒波にもまれながら基本的には現在まで生きていると言えよう。