表題番号:2000A-197 日付:2002/02/25
研究課題中国少数民族運動会にみるエスニシティーとナショナリティー
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学部 教授 寒川 恒夫
研究成果概要
 中国少数民族運動会は中華人民共和国の国家民族事務委員会と国家体育運動委員会(現国家体育総局)が共催し、政府公認55少数民族が民族伝統のスポーツや歌舞を一堂に会して披露し、また競い合うイベントであり、今日までに6回開催されている。第1回は1953年(天津)、第2回は1982年(フフホト)、第3回は1986年(ウルムチ)、第4回は1991年(南寧)、第5回は1995年(昆明)、第6回は1999年(ラサ、北京)である。大会は当初から定期大会として位置づいていたのではなく、1981年に北京で催された民族事務委員会と体育運動委員会の合同会議において初めて決定している。その会議において1953年の大会(正式には全国民族形式体育表演及競賽大会)を第1回とし、1982年の第2回大会から4年に1度開催することを決定したのである。第1回大会は民族形式とされたため中国の主要民族である漢族もこれに参加している。しかし大会名称が少数民族と改められた第2回大会以後も漢族が参加を続けている点は注目される。大会開催の意義は1981年の会議において、政府の指導の下での少数民族の伝統スポーツの保存と振興に求められ、同時に地方大会をおこない、これを全国大会の予選とすることも決定され、ここに少数民族運動会の全国組織化が実現した。こうした背景をもつ大会はこれを、55少数民族の民族アイデンティティー(即ちエスニシティー)と中華人民共和国民アイデンティティー(即ちナショナリティー)という二重のアイデンティティーを発現させる文化装置とみることができる。主催者である政府が第4回大会から台湾に居住する少数民族チームを招いたこと、さらに第6回大会はラサと北京の2会場で開催したが、ラサ開催はチベット民主改革40周年、北京開催は建国50周年を記念するための国家要請に基づくものであり、後者と関わっている。こうした民族融和政策の下に進行するナショナリティー強化に対し、少数民族の側のエスニシティー強化がどのような形で展開しているのか、この問題は将来の課題として残されている。