表題番号:2000A-061 日付:2002/02/25
研究課題前三千年紀末から前二千年紀前半のアモリ人の自立化過程
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 前田 徹
研究成果概要
 前二千年紀のメソポタミアでは、アモリ人(マルトゥ)が政治の主導権を握っていた。しかし、それ以前の前三千年紀では、アモリ人は周辺異民族のひとつと看做されていた。アモリ人が周辺異民族=「蛮族」観から脱却し、政治勢力として自立する過程を解明することが、古代メソポタミア史を理解する上に重要な課題になる。本課題の目的は、この自立過程をウル第三王朝時代(前三千年末)からの歴史的状況の中で具体的に捉え直すことである。
 マルトゥの政治舞台への登場は、ウル第三王朝が正規軍を補い、地方の治安を安定させる目的でマルトゥを「傭兵」としたことから始まると言える。ウルの王は、マルトゥの族長を温存して、その指導力に頼った。そのことが、マルトゥの族長制を助長したと思われる。前二千年紀に入ると、族長に率いられたこれら遊牧のマルトゥは、バビロンやエシュヌンナなどの有力な都市の王と同盟を結ぶまでに政治勢力として実力を付けた。一方で、マルトゥ諸族に同族意識が芽生えていた。バビロンのハンムラビとアッシリアのシャムシアダドの王統譜は相似し、マルトゥ系諸族の名祖が系譜的に辿られている。同一の祖から分かれた同族であるという意識がこの二つの王統譜に反映する。これは、マルトゥの政治的自立を裏付けるものであろう。
 バビロンのハムラビは、統一事業が完成するとともに、いままでその力を有効に使ってきたマルトゥの族長の勢力を削ぐために、マルトゥを自己の軍隊の中に組み入れ、その長をラビアン(族長)でなく、軍隊組織の位階であるウグラ・マルトゥとした。さらに王領地から封地を与えることで、遊牧的族長体制の弱体化を図った。ハンムラビのこうした政策が功を奏したかどうかはなお検討すべき事柄であるが、彼がこうした政策を採らざるを得なかったことは、等閑視できない一大政治勢力としてのマルトゥの存在を証明することになろう。