表題番号:2000A-055 日付:2010/11/16
研究課題英国の博物館施設に収蔵されている亀ヶ岡式土器の実体調査
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 高橋 龍三郎
研究成果概要
 研究課題に沿って、英国の博物館施設に収蔵される日本の先史時代遺物、特に亀ヶ岡式土器関係の資料について知るため、ケンブリッジ大学のホッドン考古学博物館、オックスフォード大学アシュモレアン博物館、ピット・リヴァース博物館、エジンバラ市に所在するスコットランド国立博物館を訪ねた。その結果以下のような事柄を確認することができた。
 明治年間に、横浜でゼネラル・ホスピタル病院の院長として活躍したG.N.マンローは、医師業の傍ら、日本の先史時代の研究に興味を持ち、北海道を始めとして、日本各地の遺跡を訪れ、多くの遺物を採集している。その研究成果は、傑出した概説書として知られるPrehistoric Japanとして1911年に横浜から刊行された。その後永住の地と定めた北海道二風谷で彼が死去したため、北海道などで収集した考古資料は、マンロー・コレクションとして、英国エジンバラ市に輸送され、スコットランド国立博物館に収蔵されることとなった。しかし、そのコレクションの実態については、ほとんど外部には知られておらず、日本の研究者間でも、一部を除いてその内容を知るものは少ない。
 2000年8月7日~同11日まで、エジンバラ市の同博物館を訪ね、主に縄文時代の遺物資料を中心に観察することができた。展示資料中で注目されたのは、縄文時代晩期に北海道方面に盛行した聖山式土器が豊富に含まれていたことである。土器の体部文様に描かれる入り組み文系、工字文系の磨消縄文の文様は、紛れもなく青森県北部から渡島半島を超えて北海道南部に分布する聖山式の特徴に一致する。これらの資料の由来が北海道を中心とした地域にあったことを示している。かつて國學院大學の小林達雄教授が実地に博物館のマンロー・コレクションを観察して、『朝日新聞』(夕刊1999年)に紹介された三足土器は、都合で残念ながら実見することはできなかった。三足土器は、晩期の後半を中心に、主に青森県で合計4点が確認されただけの希少な資料である。形態の異質な点からして、また資料の偏在の仕方から、亀ヶ岡式文化の中でも、特異なあり方を示す。それがより北方の北海道方面に展開することは、重要な意味をもつと考えられる。資料全体は膨大な量なので、それらの資料調査には、さらに多くの時間が必要である。