表題番号:2000A-050 日付:2004/03/16
研究課題ステファヌ・マラルメの言語思想に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 川瀬 武夫
研究成果概要
 「ステファヌ・マラルメの言語思想に関する研究」と銘打った2000年度の特定課題研究は、主として詩人の1860年代後半の言語学的探求に焦点をあて、いわゆるマラルメの「形而上学的危機」のなかで、彼の言語にまつわる問題意識が、どのような深まりと射程を持つに至ったか、そしてその後の彼の詩的営為にいかなる影響を与えたかを検証してみた。
 1860年代にマラルメが逢着した〈危機〉の内実とは、キリスト教の〈神〉の不在の発見と、そこから帰結する人間存在の虚無性の認識であったといっていい。そのような絶望感から脱出するためにマラルメがとりあえず手にしたアリアドネーの糸は、たんなる物質的存在にすぎない人間がそなえている固有の言語能力への着目であった。人間が現実世界を超越しうる唯一の契機としての「虚構fiction」を生み出すちからはまさにこの言語に由来する能力であり、〈神〉概念がそうした人間による最大の「虚構」である以上、言語こそは人間の「神性divinité」を保証する根拠に他ならないと彼は考えたのである。
 この時期マラルメは哲学的自殺をテーマにした難解なコント「イジチュール」を書くかたわら、言語学の学位論文を提出するための本格的な準備作業に入っている。結局、この学位論文はついに完成しなかったものの、現在残されている断片的なメモを読むかぎり、彼の言語思想がヘーゲル哲学の思弁的な枠組みにとどまることなく、当時勃興期にあった印欧比較言語学の実証的な成果に多くを依拠していたことは明らかである。彼が同時代の言語学研究に何を見てとっていたのかを正確に確定するにはさらに粘り強い調査を必要とするが、少なくとも1877年に刊行されたマラルメ唯一の英語学関係の著作『英単語』が1870年代初頭までには着想され、執筆の準備が始められていたことだけはまちがいない。従来、リセの英語教師であったマラルメの小遣い稼ぎの仕事としか見なされてこなかった『英単語』を、以上のような彼の言語学的探求の必然的な帰結と位置づけ、その意義を深く理解することは今後のマラルメ研究の重要な課題となるであろう。
 なお、今年度は筆者がその訳出書簡の選定作業から参与していた『マラルメ全集Ⅴ・書簡Ⅱ』(筑摩書房)の最終校正にも忙殺された。本巻は筆者による「凡例」および各年の「扉年譜」を付して、2001年4月にようやく刊行の運びとなった。