表題番号:2000A-024 日付:2003/07/18
研究課題日本占領下の上海における女性月刊誌『女声』の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 法学部 教授 岸 陽子
研究成果概要
 1942年5月、日本占領下の上海において、日本の著名な女流作家田村俊子によって創刊された華文女性月刊誌『女聲』は副編集長として実際の編集を担った中国の女性詩人関露が実は中国共産党の地下党員であったため、日本占領下の複雑な状況の中で大きな役割を果たすことになる。かつて私は、戦時中、東京で開かれた「第二回大東亜文学者大会」に『女聲』の代表として出席した関露が、いかにみごとに韜晦し、この大会を戯画化してみせたか、その孤独な戦いと、「漢奸」を装わなければならぬ一人の人間としての苦悩を、「夜に鳴く鳥―大東亜文学者大会と一人の中国人女性作家」と題する論文で明らかにした(早大法学部『人文論集』1998年3月)。この論文が上海の『文匯読書週報』および『新民晩報』などに紹介され、それを通じて『女聲』の書き手4人と連絡を取ることができた。
 その後、上海においてこれら4人の寄稿者にインタヴューを行ない、関連資料を蒐集していく過程で、①田村俊子の創刊した『女聲』が、実は1932年10月―「満州事変」の翌年―やはり上海で王伊蔚・劉王立明によって創刊された同名の女性半月刊誌の名を盗用したものであったこと、②誌名だけでなく、誌名の書体・版型・全体の割付にいたるまで、第一の『女聲』にそっくりであったこと、そして、③日本の敗戦に伴い俊子の『女聲』が廃刊になると、2ヶ月後には、第一の『女聲』が創刊時の編集長王伊蔚の手で復刊され、国共内戦下の錯綜した状況のもと、1948年まで出版されていたことなどが判明した。
 そこで、そうした経過を追跡しつつ、俊子と関露の『女聲』を精読することにより、第二の『女聲』が、巧みに韜晦しながらも、実は、「女性の自立と解放」を「民族の独立と解放」に結びつけた第一の『女聲』の志を継いでいる点を明らかにした。
 以上の成果は近く研文出版より公刊の予定である。なお、『女聲』が当時の読者にどう読まれたかについても、現在調査中である。