表題番号:2000A-006 日付:2002/02/25
研究課題プルーストにおける“忘却”と自我の“蘇生”
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 教授 徳田 陽彦
研究成果概要
 マルセル・プルーストの『失われた時を求めて』の第六巻『逃げ去る女』は死後出版された。この巻において、主人公の〈私〉はヴェネチア滞在中に、忘却にかんする最終的な、一般的法則を発見するにいたった。アルベルチーヌの死後もなお、〈私〉は、生前の彼女の行動を調査させるなど、彼女への執着は捨てきれなかったが、時間は容赦なく、そうした主人公の意識をも変成させる。〈私〉の内部では確実にアルベルチーヌにたいする忘却が進行していたのである。主人公の認識は、忘却の第一段階、第二段階へとたっし、ついにはヴェネチア滞在中に、最終の第三段階にいたり、恋人への無関心は完成する。最終段階での忘却は、『失われた時』の無意志的記憶がひきおこす最高表現ともいえる「心情の間歇」の“ネガ”である。それは、主人公がかつて経験した、死んだ祖母が蘇る「心情の間歇」という心的現象の究極的否定でしかないからだ。筆者は前回、「忘却」と「無意志的記憶(とりわけ、心情の間歇現象)」が、プルーストにおいて、いつ、どのように生成され、発展してきたかという問題を、その初期作品『楽しみと日々』と『ジャン・サントゥイユ』を中心に研究した。
 今回は、それ以後の草稿群と出版された作品、すなわち、『1908年のカルネ』と草稿帖、そして死後出版された『サント・ブーブに反対する』ならびに1913年に出版された『スワン家のほうへ』に焦点をあてた。無意志的記憶にかんしては、『失われた時を求めて』の物語上の骨格ともいうべき位置にほぼ匹敵する要素がすでに『サント・ブーブ』のなかで開陳されている。さらに、のちの「心情の間歇」で展開される、祖母の死とその蘇りというテーマが、プルーストの母についての記述という形でまずは語られ、のちに虚構上の祖母という形になって、メモ程度だが表現されていた。ただ問題は、そうしたメモ程度の表現から、「心情の間歇」にかんするさまざまな草稿へといたる過程が判然としなかったし、草稿の年代決定ができなかったことである。一方、もうひとつのテーマ「忘却」は、『スワン家』において、スワンのオデットたいする恋愛感情の推移の果てに、また〈私〉のジルベルトにたいする幼い恋愛の過程にその萌芽ともみられる要素は散見するが、のちに一般的法則にいたる心情のダイナミスムはまったく存在しない。第一巻では、忘却はテーマですらないともいえよう。第二巻以降の叙述との落差ははなはだしいものがある。その間、プルーストに何がおこったのか。無意志的記憶と忘却はどのようにして結合したのか。この問題を次回の課題とし、この研究を継続したい。
 以上の内容を学部の紀要に発表した。