表題番号:2000A-001 日付:2002/02/25
研究課題学問の自由と大学政策
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 教授 大濱 啓吉
研究成果概要
 学問の自由の理念は、19世紀初頭のドイツにおいて形成された。そこでは、学問の自由は個人的利益に奉仕する思想の自由、表現の自由等の市民的自由とは異質の超個人的な精神的価値の実現に奉仕する高次の自由とされた。つまり、学問的生の自己法則性又は文化の自律の制度的表現とされ、学問の自由の担手は、個々ないしすべての市民ではなく、大学であると観念された。日本国憲法は23条で「学問の自由」を人権として保障しているが、その意味は、必ずしも19世紀ドイツのそれと同じではあるまい。結論的にいえば、人間の真理を知る自由、真理にアクセスする自由として捉える必要がある。しかし、これだけでは憲法が学問の自由を保障した意味はない。真理は、天から降ってくるものではないからである。現代資本主義社会にあっては、学問研究は、複数の人間の精神的交渉(刺激・議論・批判)として営まれ発展する。つまり、アカデミック・コミュニティーの形成が不可欠であり、しかも研究手段が保障されないことには成立しない。つまり、大学制度は、学問の自由のコロラリーとして、市民的自由(何を研究しても自由である)以上の内容を含むものとして憲法上保障されたものである。何となれば、学問研究には、社会に役立つ側面と、現体制を批判する側面とがある。つまり、現在の真理を疑い、多数者の価値観を批判することが、当然と前提とされている。そして、研究者は、国家や社会から俸給をもらい、生活を保障され、研究手段を提供され(もちろん、お金が含まれる)、研究成果発表の自由が保障されなければならない。
 さて、大学政策は、現在、戦後改革にも比すべき大転換期にさしかかっている。1991年の大学設置基準の大網化を皮切りに、政府の大学政策は、規制緩和路線をひた走りに走っている。本研究は、一方で、学問の自由の憲法保証の意味を明らかにすると同時に近時展開されてきた、大学政策の根底にある思想を剔抉し、それが、どういう背景と目的をもって登場したかを検証するものである。