表題番号:1999A-816 日付:2002/02/25
研究課題明治・大正期における日本の映画言説にみられるヨーロッパ映画の影響
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助教授 小松 弘
研究成果概要
 本研究は明治~大正期の日本において、ヨーロッパ映画がいかに受容されたかを明らかにするために、当該の時代の日本及びヨーロッパ(特にフランス、ドイツ、イギリス、イタリア)の映画雑誌における言説を比較調査し、さらに具体的な作品の評価においていかなる差異が認められるかを検討するものである。すでに明治期の雑誌『活動寫眞界』及び大正期の雑誌『キネマ・レコード』の中で、ヨーロッパ映画がどのようなコンテクストで語られていったのかを見てきた。この調査においてはフランスの『フォノ=シネ=ガゼット』ドイツの『ビルト・ウント・フィルム』イギリスの『バイオスコープ』等の同時代の雑誌の言説を比較として用いた。これによって日本のインテリがヨーロッパ(旧世界)の文化・芸術に親しみ、映画が実物教育のような役割を果していたこと、さらにかなり早くからヨーロッパにおける映画にまつわる言説が日本でも理解されていたことが明らかとなった。
 こうした準備研究に基づいて、具体的な映画作品を取り挙げ、それが日本とヨーロッパでどのような受け取めをされたのかを比較した。対象となったのは1907年と1913年に二度映画化されたフランス映画「人生のための戦い」である。この作品は初め1909年に日本で公開された際に、非常に好評を博し、新聞『萬朝報』は異例の映画評を掲載し、雑誌『実業之日本』はこの作品を推奨作品とした。それはヨーロッパでのこの作品の受容とはかなり趣を異にしたものであった。1913年版は日本では1915年に公開され、これも話題となったが、ヨーロッパ(フランス、ドイツ、イギリス)とは違い、それほどの熱狂をもって迎えられたわけではなかった。そこにはヨーロッパ映画の受容が1909年から1915年までに明らかに変化していることが読み取れる。それはまた映画の形式上の変化とも大きく関連していた。本研究の結論は映画の言説が結局は映画の形式の変化と対応していることが明治~大正期の特徴であったことを明らかにしている。