表題番号:1999A-122 日付:2002/02/25
研究課題都市部青年学校の研究-東京府(都)下の公・私立青年学校を中心に-
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 教育学部 助教授 矢口 徹也
研究成果概要
 青年学校は、実業補習学校(実業補習教育)と青年訓練所(壮丁準備教育)が統合される形で出発した。公教育として出発したこの制度の実態について義務制下(戦時下)の大都市部を中心に資料調査・研究をおこなった。なかでも、「帝都」東京を事例として公立・私立(企業内設置)を比較して、その施設・教員・生徒・授業内容を戦時体制の推移を視野に考察を試みた。
 1943年当時を例に取ると、公立では都下で390校の設置が確認できるが、その多くは、戦後の新制中学・一部新制高等学校・公民館等への継承が学校施設と教職員両面においてなされている事を検証した。一方、私立青年学校は同年524校設置されており、1935年次と比較して生徒数が40倍に増加している。青年学校は、学校教育の「代位」として出発しながらも、①戦時体制の深刻化にともなって全国の勤労青少年、わけても都市部の勤労青少年の教育機会拡大に「貢献」したこと②公立においても同様であるが、教育機会の拡大は「思想・内容面」は別としても戦後学校教育改革・社会教育改革の受け皿の一つとなった事実③私立の工場内に附設された多くは「熟練工」が次々に徴兵される中で、「低度」ではない科学技術教育、製品管理・労務厚生システムが準備された。それらは戦後の教育改革・企業改革、さらに「高度経済成長」期へと連続している例を多数検証した。青年教育、中等教育という従来の類型で捉えきれない対象であるが、「女子教育」(女子青年学校・勤労動員・挺身隊等)の課題も明らかになった。