表題番号:1999A-072 日付:2002/02/25
研究課題田山花袋文芸理論の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 佐々木 雅發
研究成果概要
 研究課題を「田山花袋文芸理論の研究」としたが、今回直接的に二論文、間接的に二論文を制作した。まず「『野の花』論争―〈大自然の主観〉をめぐって―」では、花袋と正宗白鳥の「野の花」の序文をめぐる論争の分析からはじめ、その中で花袋の用いた〈大自然の主観〉という用語が、いわゆる近代認識論上の〈主観〉〈客観〉に対応する用語というよりも、花袋少年期における吉田陋軒の休々草堂における儒学の修養や、青年期における松浦辰男の歌塾における桂園派歌論の学習等、儒教あるいは近世文芸理論、よりさかのぼれば、伊藤仁齋の思想や、それをうけた香川景樹の歌論における、いわゆる〈天地一体〉の思想に由来することを論究。またこのことは決して花袋一個の問題ではなく、まさに明治中期、二十年代から三十年代を代表する井上哲次郎や大西祝の思想性と重なるので、そのことを井上の「認識と実在との関係」、大西の「香川景樹の歌論」の読解を通して究明した。次に「花袋とモーパッサン、その他―明治三十四、五年―」では、まず花袋のいわゆるモーパッサン体験なるものを取り上げ、それを当時の「太平洋」(「西花余香」欄)を中心に、「新声」「太陽」「新潮」「中央公論」誌上等の十九世紀ヨーロッパ文学紹介の諸論に徴しつつ、しかしその間花袋が、結局は自らの血肉としていた〈大自然の主観〉概念の闡明に従っていたと論及し、その結論を花袋の自然主義への出発を画した「重右衛門の最後」の分析につなげた。また夏目漱石に関し、「『草枕』の評釈」と「『門』評釈―五・六章をめぐって―」の二論文を執筆したが、いうまでもなく花袋と漱石の文芸理論の対立(実際論争もあり、ばかりか両者の発言はつねにお互いを意識している所がある)は、決してないがしろに出来る問題ではなく、またこの二作品は漱石と自然主義との関係が、必ずしも截然と分けられるものではないことを示していて興味深く、今回はその一端を考察した次第である。