表題番号:1999A-068 日付:2002/02/25
研究課題ドイツ中世都市の平和政策
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 小倉 欣一
研究成果概要
 中世ヨーロッパの都市は、市場が開設され、農村との分業関係にたつ商工業の立地であった。とりわけドイツでは、シュタウフェン朝後期から王権が衰退し、聖俗諸侯と貴族が勢力を増し、戦乱・抗争が絶え間なく、都市の住民は、生命・財産の保全と生業の維持のために、互いに兄弟となる誓約を交わして団結し、都市領主から種々の自由を獲得し、市民権取得者による共同体の自治を実現し、積極的に平和政策を展開した。
 このような市民たちは、対内的には、参事会という立法・行政・司法の機関と、都市によっては独立の都市裁判所を設け、自ら都市法を定め、都市領主に法人格を承認させた。シュトラスブルクは、すでに最古の都市法(12世紀後半)の冒頭に有名な平和規定「市外者たると市内者たるとを問わず、全ての者は当市において、あらゆる時にあらゆる者から平和を守らなければならない」を掲げ、他の都市も市内では、血讐、フェーデ、その他の暴力行使を禁止し、処罰することによって平和領域の実現に努めた。
 また対外的には、市門と見張塔を繋ぐ城壁を巡らし、武装自弁で市民軍を編成した。ライン河流域、ヴェッタアウ地域、シュヴァーベン地域、ザクセン地域などでは、しばしば都市同盟が結成され、有力な都市になると、周辺農村に所領を獲得し、都市領域の拡大を図った。商工業の発展にしたがい、都市は経済的に富裕な政治勢力となり、なかでも皇帝と帝国に直属する帝国都市は、帝国会議に出席を求められ、第一の選定侯、第二の聖俗諸侯に次ぐ第三の部会を構成し、帝国ラント平和令の審議に与り、ラント平和軍の主要な要員となった。傭兵と火器(銃、大砲)の導入による軍備の強化が、それに伴っていた。
 中世都市の研究は、平和政策に注目し、これまでの社会経済史と国制史・法制史の視点に、新たに軍事史・戦争史の視点を加えるならば、いっそうの発展が期待できる。