表題番号:1999A-062 日付:2004/11/23
研究課題初期中世ポーランドの国家・社会構造-公の権利体制-の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 井内 敏夫
研究成果概要
 本年度は貢租に関する研究史の整理を目標とした。
 13世紀のインムニ文書には「公の権利の諸負担」という概念が登場する。この範疇の負担のすべてを負っていたのが「村人」と呼ばれる一般農民であったが、個々の貢租や労役に関する詳細な情報を含む文書はわずかであり、しかも相互に矛盾する内容が多々みられる。それゆえ、この分野の本格的な研究は19世紀末に始まったが、ほぼ共通の理解が得られるような段階に達したのはようやく70-80年代の、K.ブチェクとK.モゼレフスキの研究によってであった。「公の権利の諸負担」は定期の貢租と臨時の義務とに分けることができる。定期の貢租には、各世帯が負うものとして、穀物貢租に転化したストルジャ(城砦の見張り番役)、地方や年代によって賦課単位が雄牛の頭数(ポヴォウォヴェ)・犂の数(ポラドルネ)・家屋(ポディムネ)、と異なる穀物貢租、蜂蜜や穀物・干草が要求される接待義務(スタン)があり、その外に、集落に豚(ナジャズ)や雌牛・羊(ポドゥヴォロヴェ)の供出が課された。ヴィエルコポルスカと東ポモージェではオポレに牛の提供義務(オポレ)があった。臨時の義務としては、城砦・橋・道路・逆茂木の建設と補修、地域防衛への参加、役人関係の送迎(ポヴズ)、物資や犯罪人の輸送(プシェヴド)、運送用の馬・牛・荷車の貸し出し(ポドヴォダ)が課され、このうえに臨時のポラドルネとスタンがあった。ナジャズは森のレガリアと関係する。このテーゼの問題点は13世紀の史料で割り出したこのような制度の始期をほぼそのまま10-11世紀の国家形成期にまで遡らせることにある。私見によれば、ナジャズを初めとする以上のような整備された貢租制度は12世紀半ば以降に完成を見た可能性を排除できない。