表題番号:1999A-017 日付:2002/02/25
研究課題マラルメ周辺の詩人たちとドレフュス事件
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 専任講師 岡山 茂
研究成果概要
 『ディヴァガシオン』などで語られるマラルメの文学の理念と、ドレフュス事件で増幅されるさまざまな政治的イデオロギー(アナルコ・サンディカリスム、ソシアリスム、コスモポリタリスム、コロニアリスム、ナショナリスムなど)の関係を考え直すために、サンボリストたちのドレフュス事件以降の(マラルメについての)言説をいくつか調べてみた。そこで見出したひとつのイデーは、ベルトラン・マルシャルのいう「マラルメの宗教」が共和制を支える非宗教的(ライック)な宗教としての文学を指すとしたら、マラルメはライックな国家としてのフランスの成立(1905年の「政教分離」)を前に「殉教」した詩人ではないかということである。最晩年に彼は『エロディヤードの婚姻』でカトリシスムの秘跡を脱構築して見せたが、そこに現れる聖ヨハネの首は、この作品を着想してから三十五年後に完成させようと試みていたマラルメ自身でもあった。ジッド、ヴァレリー、プルースト、クローデルらは、そのマラルメの「使徒」として、ドレフュス事件以後のフランスで「文学」を実践してみせる。しかし彼らの文学の二十世紀初頭における「宗教」としての機能ぶりを確かめるためには、むしろシオニスムに傾いたベルナール・ラザールや、カトリシスムに回帰するアドルフ・レテあるいはロラン・タイラードなどの証言を追いかけてみることが必要であると思うようになった。もうひとつのイデーは、サンボリストたちを「知識人」として見る歴史・社会学的な視点が『ディヴァガシオン』再読においても有効であるということ。マラルメの最後のメッセージは、現代社会の中での文学(研究)者の役割を考えることへと我々を導く。とすれば、『ディヴァガシオン』に関するこれまでの研究や発言のすべてをその視点から吟味する作業を、レクチュールとともに実践しなければならない。それはとりもなおさず、この散文集に関するしっかりしたモノグラフィーを書くということなのである。今回の論文もその一部となる。