表題番号:1999A-007 日付:2002/02/25
研究課題プルーストの「忘却」のテーマの生成と過程
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 教授 徳田 陽彦
研究成果概要
 マルセル・プルーストの死後出版された、『失われた時を求めて』の第六巻『逃げ去る女』において、主人公はヴェネチア滞在中に、忘却の一般的法則を発見するにいたった。アルベルチーヌが死んだあとも、〈私〉は、生前の彼女の行動を調査させるなど、彼女への執着はすてきれなかった。だが、時間は容赦なく、そうした主人公の意識をも変成させる。〈私〉の内部では確実にアルベルチーヌにたいする忘却が進行していた。主人公の認識は、忘却の第一段階、第二段階へとたっし、ついにはヴェネチア滞在中に、最終の第三段階にいたり、恋人への無関心は完成する。最終段階での忘却は、『失われた時』の無意志的記憶がひきおこす最高表現ともいえる「心情の間歇」の"ネガ"である。それは、主人公がかつて経験した、死んだ祖母が蘇る「心情の間歇」という心的現象の究極的否定でしかないからだ。そこで、筆者は今回、「忘却」と「無意志的記憶(とりわけ、心情の間歇現象)」が、プルーストにおいて、いつ、どのように生成され、発展してきたかという問題に関心を集中させた。
 まずはプルーストの初期作品、とくに処女作『楽しみと日々』と生前に出版されなかった未完の小説(というか、正確にいえば、小説の断章集)『ジャン・サントゥイユ』において、「忘却」と「無意志的記憶」の二つのテーマの生成を考察した。その結果、「忘却」は前者の作品において、すでに章題にもなっていて、あきらかに青年プルーストは、感傷的なこの処女作のなかで情緒的なレヴェルでこのテーマをあつかっていた。忘却が意味する内実は無関心であった。それ以上のひろがりはない。『ジャン・サントゥイユ』は『失われた時を求めて』の多くのテーマが萌芽状態ですでに展開されている。「無意識的記憶」も、この小説断片集のなかで充分その位置を主張していたが、"唯一の作品"にみられるような、物語構造の主たる骨格を構成する要素とはなっておらず、たんなるエピソードでしかない。また二つのテーマが交錯する個所もわずかながらうかがえるが、作者は確固たる方法意識をもって表現しているわけではない。青年プルーストは忘却にかんして、ここでも、「無関心」以上の認識にはたっしていない。
 以上の内容を学部の紀要に発表した。この研究はしばらく継続される。