表題番号:1998A-697 日付:2002/11/19
研究課題オーストラリア太平洋問題調査会に関する研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) アジア太平洋研究センター 教授 山岡 道男
研究成果概要
 太平洋問題調査会(以下IPR)が開催した第1回太平洋会議へのオーストラリアの参加準備に関しては、拙論『オーストラリアIPRについて:第1回太平洋会議への準備活動を中心として』で分析したが、今回は、オーストラリアIPRのメルボルン支部とシドニー支部の設立過程(1926年)、並びに両支部の合併によるオーストラリア国際問題研究所(以下オーストラリア研究所)の発足(1933年)までの時期を取上げて検討した。
 この発足過程を複雑にした要因としては、まず第1番目として、シドニーとメルボルンに支部が別々に設置され、また活動が支部ごとに独立して行われたために、オーストラリアIPRは2系列の歴史を有することになったことと、第2番目として、オーストラリアが英国の自治領であったために、オーストラリアIPRで活動した人々は英国籍を有しており、そのために、英国国際問題研究所のオーストラリア支部のメンバーであったり、ラウンド・テーブル運動のオーストラリア支部のメンバーであるといったように、様々な活動に加わっていたことが挙げられる。
 今回は、1999年3月10日より25日にかけて、オーストラリアのキャンベラにあるオーストラリア国立大学(チフリー図書館、メンジス図書館、ホープ保存書庫)で、主に図書資料と雑誌関係の調査をし、オーストラリア国立図書館写本室では、個人文書(フレデリック・エグルストン文書、W・K・ハンコク文書、J・J・レェーサム文書)を閲覧した。さらに、オーストラリア国際問題研究所の本部(於キャンベラ)では、1940年代から60年代までの理事会の議事録(約400枚)を入手することが出来た。なお、同研究所の通史を執筆していた、モナシュ大学のジョン・レッグ教授と会い、本年5月出版の通史の関連部分を入手できた。