表題番号:1998A-542 日付:2002/02/25
研究課題「ニヒリズムの歴史」の理解をめぐるF.ニーチェとM.ハイデガーの思想的対立についての研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 専任講師 鹿島 徹
研究成果概要
 1961年に刊行されたハイデガーの“Nietzsche”(2 Bde)には、新しく“Martin Heidegger Gesamtausgabe”の版が刊行され、またその元原稿に当たる講義録も既に多く刊行されている。それらを比較・検討しながら、ニーチェの「ニヒリズムの歴史」に対するハイデガーの解釈・論評を分析する作業を行い、その1936/37年から1940年前半に至るまでの時代的変遷を一覧表としてまとめる作業を行った。それを通じて明らかになったのは、1930年代の後半にハイデガーはナチズムと現代システム社会の勃興を思想的対決の対象とし、それを近代およびその形而上学の帰結と捉える歴史的見通しからニーチェを新たに解釈しはじめたということであり、この歴史的視点がしばしば「強引」とされるニーチェ解釈を大枠として規定しているということである。
 以上の作業と並行して、ハイデガーのニーチェ解釈の対照例として西谷啓治のニーチェ理解を取り上げ、特にその『ニヒリズム』(1949年)を手がかりに整理・検討した。「ニヒリズム」を同じく歴史的動向と捉えつつも、西谷が「東洋文化の伝統」の再発見の道としてそれを積極的に利用する議論を構成したのに対し、ハイデガーは「存在の歴史」の立場からニーチェのニヒリズム論をもニヒリズムと捉えた上で、ニヒリズムのさなかに人間が存在の呼び求めに応えることのできる可能性を追求した。にもかかわらず両者いずれにおいても「家郷性への欲望(郷愁)」が根本モチーフとして働いている。このような主旨の研究成果を、1998年9月25日にシルス=マリア(スイス)で開催されたチューリッヒ大学東アジア研究所主催の国際シンポジウム“Nietzsche and East Asia”において、“Keiji Nishitani und Heidegger als Nietzche-Interpreten”と題して口頭で発表した。
 さらにハイデガーと東アジアの思想家を比較するという観点から、西谷と共に埴谷雄高を取り上げ、新たに刊行された『埴谷雄高全集』に基づいてその「存在論」および「倫理」についての検討を行った。