表題番号:1998A-531 日付:2002/02/25
研究課題歴史と美術―国史画の研究―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 丹尾 安典
研究成果概要
 98年度の研究課題において、まず申請者は「国史画」の成立過程を探った。おそらく、その成立母胎は、歴史教科書の挿し絵であったと思われる。明治5年に文部省がまとまた教科書『史略』や、明治8・9年にわたって刊行された『日本史略』には、挿し絵が入っているが、明治10年代に民間から出版された歴史教科書には、たとえば『新編 日本略史』(明治11)、『小学日本史略』(明治12年)、『小学国史記事本末』(明治16年)などのように、ほとんど図をいれていないものが多い。三宅米吉は、そのような状況を憂いて、明治16年に「小学歴史科に関する一考察」のなかで、図画を教科書に取り入れることを提案しており、また明治24年の「小学校教訓大網」も「日本歴史を授くるには、成るべく図画等を示し…」とすすめている。このような背景のなかで、図画は歴史教育において、次第に重要視されてくる。その流れのなかから、『日本歴史画法』(明治25年刊行)や、その後継誌『国史画報』などが出版され、国史画の原型が形成されていった。
 しかし、この段階では、まだ国史画は、モニュメンタルな政治的発揚性が明確に看取できるほど、社会的な強い影響力をそなえてはいなかったように思われる。国史画が、はっきりとその位置を確立するのは、おそらく、明治神宮正徳記念絵画館(大正15年竣工)に明治天皇事績にまつわる絵画作品が納入された昭和7年以降のことであろうと推測される。これを引き継ぐかたちで東京府少国民精神養成道場「養成館」には、本邦の歴史を通観する歴史画が展示されたが、この時点をもって、国史画は完成をみたと言えよう。養成館の絵画は、以後小学校レベルの歴史教科書において、挿し絵の主役を演じてゆくこととなり、視覚をとおして広範な影響を与えたが、その重要性はいまだ社会的な認識とはなっていないので、今後も継続して研究してゆく必要性があろうかと思われる。