表題番号:1998A-524 日付:2002/02/25
研究課題紀伊国阿弖河荘の復原的研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 海老澤 衷
研究成果概要
 紀伊国阿弖河荘は現在の和歌山県清水町一帯に存在した荘園である。鎌倉時代末期には高野山領となるが、それまでは京都にある円満院・寂楽寺が荘園領主であった。この地の在地領主湯浅氏が農民を過酷に支配したことで著名な荘園である。しかし、その開発過程などは不明な点が多い。今回復原的な研究を行い、これらを究明したいと考えた。『清水町史』の上巻および史料編が既に刊行されており、これらを手がかりとして多くの事実が判明したが、なお十分ではないため現地景観をふまえ得つつ、清水町役場に保存されている古文書の調査を行った。ここではそこで明らかとなったことのうち重要と思われる事柄に触れておきたい。それは慶長期の検地帳の問題である。かつて安諦支所に所蔵されていた文書の表紙には例えば、「慶長六年九月朔日 御検田帳写 有田郡押手村 元禄十年丑六月」とあるが、これに関連するものとして「元禄十年丑六月 安永七年三月改替候 名寄帳押手村」とある帳簿も存在し、慶長検地帳(元禄期の写しであるが)に付けられた通し番号は、後者の史料にも全く共通するものであることが判明した。このことからおそらくのちに名寄帳を作成する際にふった通し番号であると推定する事が可能となった。和歌山県下では例えばかつらぎ町にも同時期の検地帳があり、その通し番号の経緯については十分明らかにされていなかったので、この阿弖河での解明は地域の復原研究の一助となるものである。
 また、アラギ島(河川の蛇行によってできた河岸段丘)における水田開発状況(大庄屋笠松佐太夫の開墾が大きな比重を占めるが、畑地開発は中世にさかのぼることも可能)のほか、中世の集落として知られる立神の現況、島崎のサンマイ、についても多くの知見が得られたが、これらについては今後発表される論文などにより明らかにしていきたい。