表題番号:1998A-177 日付:2002/02/25
研究課題中古・中世日記文学の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 高等学院 教諭 福家 俊幸
研究成果概要
 日記文学を日記文学たらしめているのは何か。引き続いて、この命題を考究した。日記文学とはその名称からも自明のように、事実記録としての日記すなわち記録性と、自立した作品世界としての文学性とをあわせ持っている。そうした両義的性格が先鋭的にあらわれている作品に『紫式部日記』がある。この作品には極めて多くの服飾描写が存在する。その意味では、顕著な記録性があらわれているわけで、女房日記や歌合日記との共通性が指摘されるのも首肯される。しかし、服飾描写の背後にある作者の視線の動きに注目すると、その対象に応じて遠近する視線の動きは、宮廷記録の中にみずから語る女房すなわち身体性を伴った作者自身を持ち込むための方法的機能を担っていたのである。従前の宮廷記録の、記録者に徹し、禁欲的に沈黙する女房とは、一線を画した作者の姿を認めてよいように思われる。『日記』の視線の方法はかくも特徴的であり、また記録と語りを両立させる重要な鍵である。中世日記文学は宮廷記録としての作品が多く、『紫式部日記』の系譜に立つ作品が多いこととなるが、この視線と語りの関係がいかに継承あるいは変質をとげていったのか。日記文学の、記録性と文学性を考える上で重要な視点たりうると思われ、今後とも考究を続けていきたい。