表題番号:1998A-162 日付:2002/02/25
研究課題中国上海市の龍船競漕にみる文化変容
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学部 教授 寒川 恒夫
研究成果概要
 上海は行政上、1292年の上海県、1927年の上海市、1958年の政府直轄上海市を経て今日に至っている。
 上海の地は揚子江下流に属し、古くから龍船競漕の盛んな土地であった。清代の同治10(1871)年にまとめられた上海県志は、これが端午節の年中行事であることを記している。当時の上海県は今日の黄浦江左岸の上海市街区に相当するが、その端午節龍船競漕がいつまで存続したかは不明で、1998年12月の筆者調査時点では市街区にこの行事はおこなわれなかった。
 政府直轄上海市については、松江、川渉、宝山など1958年に編入された諸県でそれぞれ清代における実施(端午節龍船競漕)が確認されるが、こうした伝統的な端午行事の系統とは別に、近代的な全国大会の系統が認められる。国家体育運動委員会が主催する「全国屈原杯龍船賽」であり、1990年に第1回大会が開かれている。この大会は船長・船幅・櫂長・漕手数・レース距離等について同委員会が定めた統一ルールによって展開するもので、近代スポーツの影響を受けたものであった。直轄上海市では青浦県が第1回よりこれに出場したが、1998年10月の上海旅遊節がこの第9回大会をプログラムに組み入れ、そしてこれが多くの観客を動員したことから、直轄上海市体育運動委員会は旅遊局と共催で毎年の旅遊節に龍船競漕を実施することを決定し、さらに、これを後方支援するために1999年に上海市龍船協会を創設することをも決定した。
 上海の龍船競漕は、かつての水稲耕作儀礼としての端午行事から、観光経済を動機とする旅遊節龍船競漕へと変容しつつあるといえる。