表題番号:1998A-048 日付:2002/02/25
研究課題19世紀デンマーク・ナショナルリベラリズムの可能性と限界
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 村井 誠人
研究成果概要
 19世紀のデンマーク社会に、知識階級、すなわちナショナルリベラルが与えた影響は極めて大きく、画期的ではあるが、その中にナショナルリベラルの有していた本来的性格と、その時間的空間に、ある意味で偶然的に同居していたより自由主義的な性格とを、明確に区別する必要がありそうだ。いままで筆者は、ナショナルリベラルをそのスポークスマンであったオーラ・リーマンの言動に代表させてきたことによって、本来のナショナルリベラルよりも遥かに自由主義的な彼の政治感覚をナショナルリベラルのそれと混同してきたようだし、アントン・チェアニングの、若くして国外の自由主義の展開を見てきたコスモポリタン的な軍人的機能主義に基づく平等感覚を、見落としてはいなかったろうか。1848年の絶対王政の終焉、1849年の自由主義憲法といった自由主義の勝利は、ナショナルリベラルによる行き過ぎた自由の修正という問題が生じ、それによってよりリベラルな農民の友との対立が表面化したのであった。1846年の農民の友協会設立の当事者でもあった二人は、それぞれ三月内閣の無任所大臣と陸軍大臣となったが、三月内閣が本来のナショナルリベラルの持つ以上の自由主義を実現するに至らなかったために、後の左翼党となる農民の友を離反させることになってしまった。
世代的にも、思想的にもナショナルリベラルに属さないチェアニングは、軍人としての視野から農民・庶民を動員することに関心を持ち、階級的平等の実現を求めたのである。そして、1840年代において彼の求める階級的平等を基点とする自由主義的欲求は、リーマンらの推し進めるナショナルリベラル運動と合流し、前述した農民の友協会の設立にリーマンらと協力するところとなった。そして、リーマンがナショナルリベラルの枠を飛び越す形で農民の権利や庶民をも前提とした男子普通選挙権を語るとき、リーマンとチェアニングらが、時の勢いで本来のナショナルリベラルが持っている以上の自由をナショナルリベラルに負わせてしまったのである。
それゆえ、そのあたりを充分に分析・整理をしない限り、1870年以降のラディカル派によるナショナルリベラル批判を正当には評価できないに違いない。