表題番号:1998A-042 日付:2002/02/25
研究課題フランス象徴主義についての研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 川瀬 武夫
研究成果概要
「フランス象徴主義についての研究」と銘打った本年度の特定課題研究は、一般に象徴派と呼ばれる、1880年代後半にフランスの詩壇に台頭した詩的世代とステファヌ・マラルメの関係に焦点を絞ってみた。
マラルメが自宅のアパルトマンで開いていた「火曜会」という文学サロンには、象徴派世代の多くの詩人たちが常連として押し掛けたし、文壇ジャーナリズムとの対応の場面でも、彼は新しい世代の庇護者としてのポーズを終始くずしていない。また一方で、若い詩人たちもことあるごとにマラルメを象徴派の「総師」として担ぎ出す戦略を意識的にとっていたふしがある。しかし、詩というものの本質をめぐる考察において、マラルメと象徴派グループとのあいだに大きな裂け目があったことも否定できない。象徴派の最も意義深い改革とされる自由詩句の運動に対して、マラルメはあくまでも距離をとりつづけ、その存在をきわめて限定的にしか容認していないのだ。
 マラルメは同時代の社会的・文化的な虚無を「空位時代」という表現によって名指したが、自由詩句という詩法上の変革も彼にとってはそうした「空位時代」の不安な徴候にすぎない。というかむしろ、象徴派というエコールの出現がマラルメの文明論的な危機意識をはっきり目覚めさせたと言うべきであるかもしれない。詩が「自由」の名の下にあくまでも個人的な次元での表現にとどまり、文明社会の集団的な価値の形成に参与することを放棄している状態をマラルメはあえて「危機」と呼んだのである。
マラルメの晩年の「書物」の構想は、その意味において、すぐれて反象徴主義的な企てであったと考えてよいだろう。「個人」であることを脱却した非人称的なエクリチュールによって、宇宙の総体を一冊の書物のうちに純粋に定着することをめざしたマラルメの途方もない野心は、ついに実を結ぶことなく終わったが、そこへと至るマラルメの思考の営為は、同時期のフランス象徴主義運動の流れとの対比によって、いっそう鮮明に浮き彫りにされるはずである。
 なお本研究によって得られた知見の一端は、「現代詩手帖」1999年5月号(特集:マラルメと近代)に掲載された論文「広場と花火-マラルメと都市の祝祭をめぐる七つの変奏」にとりあえず盛り込むことができた。