表題番号:1998A-039 日付:2002/02/25
研究課題四天王寺・中宮寺の造営について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 大橋 一章
研究成果概要
 大阪市天王寺区にある四天王寺と奈良斑鳩町にある中宮寺は、わが国仏教興隆期の飛鳥時代に、それも比較的はやい時期に発願・造営された寺院である。本格的伽藍を擁した寺院の第一号として飛鳥寺が造営されると、つづいて聖徳太子の法隆寺がつくられたが、私見によると四天王寺はわが国三番目の本格的伽藍の寺院として建立された。一方、中宮寺は四番目の本格伽藍の寺院ではないかと推測されるが、法隆寺の造営につづく工事が中宮寺でも行われたことは、発掘された瓦の編年からもいえることである。
 七世紀末には成立したといわれる聖徳太子建立七か寺の中に四天王寺も中宮寺も含まれているが、太子信仰成立期における四天王寺・中宮寺と聖徳太子の関係を強調する説話をにわかに信ずることはできない。もっとも太子と四天王寺・中宮寺がまったく関係なかったと言い切ることもできないが、両者は太子の法隆寺につづく、それも法隆寺の建立期間とある時期は重なるような関係であったと推測できる。また私見によると、両寺院とも飛鳥寺や法隆寺と比較すると造営期間は長期に及んだようである。
 四天王寺・中宮寺両者の共通点というと、ともに本尊は半跏思惟像の弥勒菩薩であった。この弥勒信仰と聖徳太子との関係、また飛鳥寺・法隆寺の造営集団と四天王・中宮両寺の造営集団との関係を明らかにしながら、四天王寺は七世紀後半の半ば、中宮寺はそれよりも遅れるころに完成したことを結論としたい。