表題番号:1998A-037 日付:2002/03/13
研究課題初期中世ポーランドの国家・社会構造の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 井内 敏夫
研究成果概要
 当年度は国家の財政・経済制度に的を絞って研究した。ポーランドでは13世紀に社会・経済の構造が急速に変化し始める。その表れが住民からの多様な貢租や労役の徴収権を君主が教会機関や貴族・騎士などの特権層に移譲するいわゆるインムニテート文書の大量発給である。それ以前の時代にはポーランド国家の仕組みを知りうる同時代の真正の史料はほとんど皆無であり、したがって統一国家の出現する10世紀後半以後の初期中世国家の形はインムニテート文書を読み解くことによって得られる情報を基礎にして再構成されることになる。しかし、貢租や労役に関する詳細な情報を含む文書はわずかであり、しかも相互に矛盾する内容が多々みられる。それゆえ、この分野の本格的な研究は19世紀末に始まったが、ポーランドの史学界においてほぼ共通の理解が得られるような段階に達したのはようやく70-80年代のことであった。以下簡単にその内容を記す。
 住民は国家=君主に対してさまざまな義務をもつ集団に組織された。インムニテート文書には「公の権利に基づく諸負担」ということばが登場する。この範疇の負担のすべてを負っていたのが「村人」と呼ばれる一般農民であった。その負担は、不明の部分が多いが、定期の貢租と臨時の義務とに分けることができる。定期の貢租には、各世帯が負うものとして、穀物貢租に転化したストルジャ(城砦の見張り番役)、地方によって課税単位が雄牛の頭数(ポヴォウォヴェ)・犁の数(ポラドルネ)・家屋(ポディムネ)、と異なる穀物貢租、蜂蜜や穀物・干草が要求される接待義務(スタン)があり、その外に、集落に豚(ナジャズ)や雌牛・羊(ポドゥヴォロヴェ)の供出が課された。ヴィエルコポルスカと東ポモージェではオポレに牛の提供義務(オポレ)があった。臨時の義務としては、城砦・橋・道路・防御施設の逆茂木の建設と補修、地域防衛への参加、役人関係の送迎(ポドヴォダ)が課され、このうえに臨時のポラドルネとスタンがあった。臨時のスタンは、宿営したり、通過する公や役人の一行を村人が実際に接待する義務であり、一種の略奪であった。
 特定の手工業製品や家畜、サービスの調達にあたっては君主は「公の奉公人」と呼ばれる特殊技術者集団を組織し、彼らに対しては一般の義務のほとんどを免除した。君主は、この外、奴隷や流民を使って私家領を組織した。農民として定住させられた奴隷が君主に負う義務は「村人」と同様のものであった。
 このテーゼの主要な問題点は13世紀の史料で割り出したこのような制度の始期をほぼそのまま10-11世紀の国家形成期にまで遡らせることにある。