表題番号:1997A-591 日付:2003/01/13
研究課題米国日系二世の教育問題―1930における二世の日本留学を中心に
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学部 助教授 森本 豊富
研究成果概要
1930年代半ばから1940年代半ばにかけての10年間は、時代の荒波に翻弄された米国日系二世を象徴的に物語る波瀾万丈の時代であった。10万人余の日系人が米国籍の有無を問わず鉄条網の内側に収容された強制収容所体験、祖国アメリカへの忠誠心を血で証明せざるをえなかった二世部隊442連隊の犠牲と功績、また、対米宣伝放送にかかわった容疑で反逆者のレッテルを貼られた「東京ローズ」等々、太平洋の東西いずれに身をおいても日系二世は数奇な道のりを歩む運命にあった。
 米国に生を受け、米国籍も得ながらその出自ゆえにセカンドクラス・シチズンとしての地位を余儀なくされた二世は、社会心理学用語「マージナル・マン」の定義に適合する。それは、生まれ育った米国の地においても、「祖国」日本に「回帰」してみても、言語的・文化的差異ゆえにマージナルな立場におかれる運命にあったからである。
 本研究では、マージナル・マン概念の視座から第2次世界大戦前後の留日米国日系二世を照射する試みを行った。いわゆる「第二世問題」とは何だったのか、また、当時の留日学生はどのような状況下にあったのかについて概観するとともに、留学体験者の手紙、回想記、インタビュー等をもとに1930年、40年代における留日二世のマージナル・マン的位相を考察した。
 マージナル・マン概念は、1920-30年代にロバート・パークをはじめとする社会学者によって提唱された、いささか古典的な概念ではあるが、境界線上の時空を浮遊する人々の存在とそのダイナミズムをとらえる意味において、そのコンセプトは有効であり、また留日日系二世のおかれたような歴史的状況における事例を扱う場合においても有用であろう。しかし、一方でマージナル・マン概念の検討課題は少なくない。今後は、ストーンキストのライフサイクルの類型化に関する考察を深めるとともに、日系二世を中心とした様々な事例を検討してゆきたいと思っている。