表題番号:1997A-517 日付:2002/02/25
研究課題ヴィクトリア朝ロンドンの社会情況、とりわけ下層階級における生活形態とチャールズ・ディケンズとの関係
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 梅宮 創造
研究成果概要
本研究では、まずヴィクトリア朝社会なるものの様相を広く展望し、次第に興味の的を絞りながら、やがて思うところあって貧しき民の生活感情という一点に注目してみた。国は富み栄えても明日のパンに事欠く人びとが街にあふれている。当時の外貌をあっさり掴まえるなら、そういうことになろう。無論、群なす貧者のなかにもさらに上下優劣があり、裕福な貧者と貧しい貧者、貧しいながらに辛うじて生き永らえる者や、貧困の泥沼にはまって刻々と沈みゆく者、その他さまざまである。ここに、人間が生きるという、切実にして獰猛な、悲しくもなお可笑しい、さながら呪われたる宿業のごとき一大ドラマが展開する。そのドラマを眼前にありありと観ること、それこそが本研究の第一歩であり、またおそらく最後まで付きまとう仕事でもあろう。しかし目下のところ、未だ道半ばにして前途遼遠の感がある。
 ヴィクトリア朝ロンドンに生きた人びとの、わけても貧しき老若男女の生活感情を作品の裡に凝固せしめた作家として、第一にチャールズ・ディケンズの名を挙げないわけにはいかぬ。ディケンズは人生の闘いという一事を、極めて濃厚な色彩と、峻烈なタッチと、笑いや涙や叫び声の氾濫をもって描いた。ここに生きる人間がいて、あちらにも人間が生きている。正しくこの人を見よ、という次第だが、確かに当時の読者はディケンズの作中に「この人を見た」のであった。
 一方に生活の生々しい実態があり、もう一方に、人間の真実が純化され増幅された作品の世界がある。この両者の狭間からしたたり落ちるエキスが、何かしら今日的意味を訴えて来るものなら幸である。今後の課題として、そのあたりを明瞭にして行きたい。