表題番号:1997A-355 日付:2002/02/25
研究課題王政復古期ロンドンの政治文化
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学部 教授 中野 忠
研究成果概要
王政復古後のロンドンの市政は、ホイッグとトーリの二つの党派抗争により特徴づけられるようになる。この抗争のなかで、教皇焼きや市長就任行列、反カトリック・半外国人抗議などの政治的デモンストレーション、コーヒーハウスでの論議、あるいは徒弟暴動や織布工暴動などの、さまざまなタイプの政治文化が展開された。本研究では、これら政治文化そのものの内容を詳細に記述するよりも、それに対しロンドンの民衆がどのように関わったかに焦点をしぼって分析した。その際、エリザベス長期ロンドンの「安定性」を巡る最近の論争が提起した問題を踏まえて、議論が進められる。
 同時代に発刊された様々な印刷物の分析を中心に、人工、経済、賃金、ギルド、犯罪、貧困と救貧制度、いわゆる「中間階層」の問題などに関する最近の研究を援用しながら、さしあたり次のような結論に達することができた。
① 人口増加の持続にも関わらず、王政復古後の一世紀足らずの間、ロンドンにおける実質賃金の水準は1世紀以前よりかなり高く、下層の市民も総体的に高い生活水準を享受することができた。
② この時代にはまた、賃金生活者の上に、「中間層middling sort」と呼ばれる独立の営業者の厚い層(全世帯の四分の一から五分の一)が形成された。つまり、ロンドンは富裕なエリートと貧しい民衆に二極分解したわけではなかった。
③ エリザベス朝期と比べて、ギルド制度は17世紀後半には後退の様相を見せながらも、なお郊外を含めたロンドンで強い影響力を保っていた。またピューリタニズムにより弾圧された民衆文化も、王政復古期以後に復活した。
④ 政治文化の面でもロンドンの住人はエリートと民衆の二つに両極分解したのではなかった。この時代に登場する「モッブ」も、エリートに対立する無秩序な大衆の集団ではなく、しばしば党派抗争への民衆の参加を求める政治エリート自身により組織されたものだった。
⑤ 民衆の政治文化への参加や正当化の背景には、16世紀以来のロンドンにおけるギルド民主主義、民衆文化、治安維持機能の分担などの伝統があった。
研究成果の発表
1997年5月
(口頭発表)「王政復古期のロンドン―一つの問題提起」(社会経済史学会全国大会(於け東北大学))
1998年9月
「王政復古期ロンドンの危機と安定」(三好洋子・坂巻清編『巨大都市ロンドンの成長(仮題)』)(刀水書房)