表題番号:1997A-267 日付:2002/02/25
研究課題日本近代と美術史
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 丹尾 安典
研究成果概要
今回の特定課題研究において、ことに重視した問題は、次の3点である。日本における美術史学は、近代にはいって成立したのだが、他の学問分野―たとえば、日本歴史学、日本文学の研究分野―とは、ちがって、日本近代美術の研究がことにアカデミックな場では、いちじるしく、軽視されてきた経緯がある。そのことは、斯分野ではわがくに最大の美術史学会が、その機関紙に近代美術に関する論考を1980年代になるまで、ほとんど載せて来なかったという事実によく示されている。なぜそのようなことが起こりえたのか、これが、第一の問題である。第二は、技量・芸術性ともに申し分なく、例えば英国においてさえ絶賛をあびた原撫松の如き画家が、なぜ近代美術史のなかでほとんど記述されることなく過ぎてきたのか、という問題である。第三には、テーマとしてきわめて重要と思われる、例えば日清・日露戦争や15年戦争にまつわるイメージ群に関する分析が美術史の分野において、なぜ長らく放置されたまま取り上げられることがなかったのか、という問題である。ここでは、以上の問題を解くうえで、重要な鍵となる点のみを指摘しておく。第一の問題にかんしては、1900年パリ万博の際に刊行された『稿本日本帝国美術略史』の影響を考慮しておくべきであろう。日本美術を初めて総合的な史的体系のもとに編んだこの本は、江戸末までの記述でおわっている。この時点で、江戸末をもって美術史の考察対象を区切る枠組みが規定されたと考えられる。第二の問題は、近代美術史が展覧会主催組織の勢力分布に呼応する形で形成されてきたことを念頭におく必要がある。画壇内の政治的動向は、個々の作家の創作よりも重きが置かれてきたということである。第三については、戦後の平和主義と美術史との関係がおおきい。極論するならば、平和主義にすりよった美術史学が、それとあい入れぬ美術を排斥したということになる。