表題番号:1997A-264
日付:2002/02/25
研究課題アイヌ民族史の研究(3)
研究者所属(当時) | 資格 | 氏名 | |
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(代表者) | 文学部 | 教授 | 菊池 徹夫 |
- 研究成果概要
- 97年度は、95年度の特定課題「アイヌ民族史の研究(1)」に示した基本的戦略に基づきつつ、昨年度の研究(2)におけるオホーツク文化に次いで、主として擦紋文化に関し、まず、以下のような問題設定を試み、いくつかの点について研究を進めた。
1 日本史のなかの擦紋文化 6 擦紋人とは誰か
2 教科書でどう教えられてるか 6―1 平安貴族の和歌に見る蝦夷
3 擦紋文化とはどんな文化か 6―2 平泉奥州藤原氏と蝦夷
3―1 続縄文文化から擦紋文化へ 6―3 土器の紋様は渡島蝦夷の旗じるし?
3―2 研究の手がかりとしての擦紋土器 7 オホーツク文化との関係
3―3 擦紋人をとりまく自然環境 7―1 擦紋人も熊送りをやったか?
3―4 住まいと村(竪穴集落) 8 アイヌ民族文化の源流の一つとしての擦紋文化
3―5 墓――死者の住まい―― 9 残されたいくつかの課題
3―6 生業 9―1 擦紋人の信仰や祭祀はどんなものだったか
3―6―1 採集・狩猟・漁労 9―2 擦紋人の種族的系統
3―6―2 農耕 9―3 古代北方防御性環濠集落の語るもの
3―6―3 鍛冶(鉄器の生産) 9―4 日本海沿岸の泊と船の水中考古学
3―6―4 交易活動 9―5 中世蝦夷考古学の成果
4 擦紋文化の広がり 9―6 アイヌ民族の成り立ちと地域系統
5 擦紋時代の終末
この結果、すべてに明快な解答が得られたわけでは、もちろんないが、一般に言われているように、中・近世のアイヌ文化が、単純に擦紋文化からのみ形成されたのではなく、地域ごとの系譜を引きつつ、以外に複雑な成り立ちをしているであろうことが、ほぼ明らかとなった。本助成費の交付に改めて、重ねて感謝申し上げる。
研究成果の発表
'97.5月 小樽市教育委員会『手宮洞窟シンポジウム 波濤を越えた交流―手宮洞窟と北東アジア―記録集』「岩壁彫刻から土器紋様へ―渡嶋蝦夷の紋章―」
'98.3月 北海道開拓記念館『北海道開拓記念館だより』27-6、「北の古代史をさぐる 擦紋文化」関連講演会「『源氏物語』のころの北海道」