表題番号:1997A-261 日付:2002/02/25
研究課題紀伊国における高野山領荘園群の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 海老澤 衷
研究成果概要
紀伊国に展開する高野山領の荘園を広く研究するため、高野山、かつらぎ町史編纂室、清水町教育委員会和歌山県立博物館、粉河寺、根来寺などを訪ね、基礎資料の収集に努めた。とりわけ荘民と荘官との関係が詳細に検討でき、また村毎の中世の帳簿が存在するため、復原研究の可能な鞆淵荘(和歌山県粉河町)に焦点を定めて研究を行い、同時に関連性のある阿弖河荘(和歌山県清水町)についても調査を行うことができた。まず、鞆淵荘では鎮守の鞆淵八幡宮において安貞2年(1228)に石清水八幡宮から送られた沃懸地螺鈿金銅装神輿と「神輿奉送目録」等を調査し、この荘園が鎌倉期において石清水八幡宮と深く関わっていたことを確認した。また鞆淵荘の場合には、室町時代の耕作地・作人・地主を書き上げた下村、上村、妙法寺村、本河村の各歩付帳が残存しており、これに関わる現在の集落である和田・高原・大西・上垣内・畑野・新子・境石・平野原・湯本・咲林・中野南・中野北・本川・岩滝・久保・北原・南地・鳥淵・清川などのほか、耕地は存在するが集落は消滅した神路谷を踏査し、多くの知見を得た。また、鞆淵荘の関連史料の分析によって、応永30年12月29日の高野山評定などがこの地域の状況を考察する際に大きな意味のあることが明らかとなった。とくに応永年間における守護領国制の展開と農民の動向および高野山の対応が、全国的に見ても貴重な事例であることが判明した。以上のことから鞆淵荘が、全国およそ3000ヶ所存在すると言われる荘園村落遺跡の中で飛び抜けて良質の資料を包含する地域であることが確認された。このことは誠に大きな成果であったといわねばならない。今後科学研究費補助金を得てこの厖大な成果をまとめれば、学界にとってこの分野での飛躍的な進展が期待できる。
研究成果の発表
1999年9月 『紀伊国鞆淵荘の調査』(科学研究費補助金報告書、早稲田大学海老澤研究室発行)〈予定〉