表題番号:1997A-260 日付:2002/02/25
研究課題梵文写本『哲学定説集成』(Sthitisamuccaya)の解読研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 岩田 孝
研究成果概要
Nepal-German manuscript preservation projectに収蔵されている梵文写本『定説集成』の解読研究を1990年代の初めより進めている。十一世紀頃に著述されたこの論書は、韻文による偈文からなり、散文の註釈がない為に、解読は極めて難しい。しかも、同書はそれまでのインド仏教内外の諸思想を前提に記述されており、偈文の解釈の為には、諸教理の思想史的な展開を踏まえ、大乗仏教の諸文献を参照するという準備段階が不可欠となる。これが写本読解に時間を要している理由である。そこで、同書の読解に際して、一方において長期的な視野から本書の全体像を諸文献を参考にして捉えつつ、他方において読解可能な箇所を成果として部分的に提出することにした。その最初の成果として、第三章(唯識哲学)の一部を和訳し、内容を考察した。唯識説の基本構成は、外界の対象の否定により、存在するものは識のみであると証明する理論と、認識する方の我々の意識の在り方を明かす理論とからなっている。今回の和訳研究においては、外界の対象の否定の論理の解明が主たる論題である。外界の対象を否定する為には、紀元前からのインド仏教内外における外界対象説をまず明らかにしなければならない。『定説集成』では、この外界対象説を次の三種に分類する。対象は、(イ)諸極微(最小単位の物質)の完全な結合から構成される、(ロ)諸極微の間隙のある(又は間隙のない)集合から構成される、(ハ)諸部分を有する全体としての単一な実体から構成される、という三種に分類する。本論文では、(イ)の諸極微結合からなる外界対象の否定を取り挙げた。分析の結果、その論理は、世親(五世紀頃)の著述した『倶舎論』『唯識二十論』などの説と関連することが明らかになった。これにより、本論書における外界対象否定の思考方法の解析が可能になった。
 なお、対象が実体として存在しないという考え方は、後期インド大乗仏教に共通するものである。それは、ものごとが自性(不変なる実体)を有しない(無自性)という説である。八世紀後半にはその説の一般的な論証が確立されている。この論証の成立過程から捉えた外界対象否定の論理をも考察した。これを1997年の第三回国際ダルマキールティ会議において発表した。
研究成果の発表
1998 『定説集成(Sthitisamuccaya)』和訳研究―無形相知識論瑜伽行派の定説(1)―、早大文研紀要、43, 1, 1998, pp.3-14.
1998 On the Interpretation of the Subject (dharmin) of the Inference Negating Invariable Entities in Dharmakirtian Logic, Proceedings of the Third International Dharmakirti Conference 1977(ウイーン大学より刊行予定)