表題番号:1997A-246 日付:2008/03/03
研究課題英雄少年兵像からみたメキシコのナショナリズム
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 政治経済学部 助教授 山崎 眞次
研究成果概要
1847年の米墨戦争に関する論文は従来、アメリカ人研究者により執筆されたものが多かったが、最近、メキシコ人研究者による論文が相次いで発表されている。その理由は二つ挙げられる。一つは米軍によって完膚なきまでに打ちのめされた忌まわしい過去に正面から取り組むことを拒否し、できれば忘却の彼方に留めてこようとしてきたメキシコ人に、ようやく冷静に過去に向かい合える精神的余裕が生まれたことである。もう一つは1997年が戦没後150年に当たり、政府と研究機関が財政援助を与え、記念論文集の発行を試みたためである。
 従来のアメリカ側の見解は、「マニフェスト・デスティニー」に基づく大陸西進運動はアメリカ人の民主主義と経済的繁栄を約束する正義であり、その結果勃発した米墨戦争の原因は傲慢で平和的解決を拒否した非民主的なメキシコ政府にあるとしたものが主流であった。しかし、メキシコ人歴史学者たちの論文には米側の見方に反発するものがあり、彼らの間にもようやく失った自信を取り戻し、隣国の研究者に反駁できるだけの学問的幅と厚みが生まれてきたようである。今回の訪墨によってこのようなメキシコ人の論文を収集できたことは大きな収穫であった。
 英雄幼年兵像に関しては、19世紀末以降、陸軍学校関係者によって9月13日の記念日を国家的祭礼とすることによって徐々に英雄視して、神格化していく過程が明らかになった。幼年兵がこれほど称賛の対象になるのは、国土の過半を割譲させられた唾棄すべき敗戦の傷を忘れ、国民の精神的統一を計り、ナショナリズムを高揚するためであったが、穿った見方をすれば、他の職業軍人が己の義務を遂行せずに総攻撃を前にして、脱走したと考えられ、当時のメキシコ軍の士気の低さの証左とも言える。6名の幼年兵は軍人の義務と祖国愛から英雄的行為を果たしたのではなく、若気の衝動から圧倒的優勢な敵軍への抵抗を試みた可能性がある。
研究成果の発表
1998年3月 政経学部教養諸学