表題番号:1997A-226 日付:2003/05/06
研究課題M.サルビェフスキの詩学―ロシア・バロック文学への影響について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 語学教育研究所 助教授 諸星 和夫
研究成果概要
ポーランドの詩人マチェイ・サルビェフスキ(1595-1640)とロシア文学の関係についてはこれまでにもことあるごとに論じられてきている。ルネサンスというモメントを持たないロシアのバロック文芸は、もともと特殊な外来の文学形式たらざるを得なかったが、そこに巨大な影を落としていたのが、「サルマチアのホラチウス」の異名をとったM.サルビェフスキだったからである。本研究では、基本的な手続きとして、まず旧来問題とされているサルビェフスキの論考“De acuto et arguto”を読み直すことによって解決の糸口を求めようとした。詩人はこの論を1619-1620年にポーロック(ベラルーシ)で、さらに1623年にはローマで披瀝、大きな反響を呼んだことが、当時の聴講者から寄せられた書簡からも知られている。ここで扱われているのはバロック詩学の美学、とりわけその枢軸を成す「驚き」と「快感」の解析だが、サルビェフスキによれば、かかる受容者側の心理状態は一致(予想通り)と不一致(予想外)の接点の上に築かれる。ここには明かにプラトン風のミメシスを乗り越えようとする詩人の熱意、具体的には、アリストテレス詩学への親近感が表明されているわけだが、見方を変えれば、ここから「詩人=世界の解読者」への道筋は数歩を残すのみとなる。一方、サルビェフスキのこの論考に見られる基本的な考え方は、主に学校教材を通じて、当時の西方ロシア地域、後には首都モスクワにまで波及して行ったことが、幾人かの、主にポーランド人学者の仕事を通じて知られている。筆者はかかる事実(サルビェフスキ詩学の流行)に着目し、これを単に偶然の産物としてではなく、むしろ往時の東スラヴ人が求めていた詩人の特殊な役割と関連させてみたい誘惑に駆られる。つまり、この地域では当時の社会状況から、詩人は正教文化圏の指導者たらざるを得ず、その教育と普及に全霊を捧げなければならない運命にあったが、サルビェフスキの仕事に体現されるポーランド経由のバロック詩学はまさにこのような風土に格好の居場所を得たものと言える。このポーランド詩人の別の論考にはまた、J.C.スカリゲル(1484-1558)の影響が色濃く反映していることが知られる。スカリゲルこそは詩人を第二の神と呼んだ人物であり、この流れを汲むサルビェフスキの詩学は、直ちに東スラヴ知識人の心を捉え、17世紀後半のロシアに忽然とバロックの麗華を開花させる。ロシア最大のバロック詩人シメオン・ポーロツキイ(1629-80)に対するポーランド文化の影響は機会あるごとに指摘されているが、その文学的営為の精髄は実はかかる文脈の中で初めて理解され得るものではないだろうか。本研究の歩みはようやく一年を経たところであり、従って、細部になお検討の余地を残しているが、果実の一部は可及的早期に公に問うつもりである。