表題番号:1997A-115 日付:2002/10/04
研究課題周作人におけるフォークロア
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 商学部 専任講師 小川 利康
研究成果概要
周作人門下で最も有力な民俗学者である江紹原を手がかりに、周作人におけるフォークロアの問題を考察し、その一端については、下記の発表及び論文(1)にまとめた。要旨は次の通り。戯文「礼部文件」(江紹原・周作人)とは、1924年より26年にかけて断続的に掲載された小品文である。江紹原はこの中でJ.G.フレーザーに依拠したロジックで礼教批判を展開し、彼の散文のスタイルを決定づけたといえる作品群である。これを材料として、本稿では江紹原の文章のスタイルが創出されるまでの経緯、並びに終生師事した周作人からの影響を検討し、以下のような結論を得た。
1.1924年末、江紹原は「訳自駱駝文」「礼的問題」で、自らの宗教学研究破産を認め、同時にフレーザー、周作人の影響のもとにフォークロア研究へと向かう。だが、この転換は思想の基底にあった「道徳の改良によって社会を改革する」という思想を変えるものではなく、方法論的な転換と言うべきである。
2.江紹原は「礼部文件」にフレーザーの大きな影響が看取されるが、これは周作人の媒介としていることが当時の書簡から裏付けられる。
3.江紹原が受容したフレーザーの理論は全面的なものでなく、《野蛮savage》批判に関わるロジックに限られる。こうした影響受容のあり方も周作人と共通し、『語絲』刊行時期の両者の思想的な親和性が裏付けられる。
4.「礼部文件」以降の江紹原の散文のスタイルを特徴づける反語的で、自嘲的な文体は如上のフォークロアという方法論の受容と同時に生まれた。この文体には、またフレーザーという西洋から借りた「刃」によって、自らの社会を批判せざるをえない苦悩が刻印されているように思われる。
 なお、今回の課題で目指していた20年代から30年代までの中国におけるフォークロアの全体的な状況の把握については、現在なお資料を整理中の段階で十分な成果を出すには至らなかったが、周作人の作品を読み解く上で必須となる問題であるだけに、今後とも継続して取り組んでゆきたいと考える。
研究成果
口頭発表
「礼部文件」における江紹原のスタイル──フレーザー、周作人の影響から──
第47回現代中国学会(文学歴史部会)
論文
(1)礼部文件」における江紹原のスタイル--フレーザー、周作人の影響から『文化論集』第11号(早稲田大学商学部商学同攻会)
(2)『晨報副鐫』における江紹原---「小品」のもたらした波紋(投稿予定・未刊)『文化論集』第13号(早稲田大学商学部商学同攻会)
なお、関連論文要旨も併せて参照いただければ幸甚。