表題番号:1997A-056 日付:2002/02/25
研究課題ルネ・クレール論の変遷と映画的言説の位相
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助教授 武田 潔
研究成果概要
フランスの映画作家ルネ・クレールは1920年代に先鋭な映画理念を掲げてデビューし、その後、絶大な名声を確立したが、50年代以降、ヌーヴェル・ヴァーグという新しい世代の映画批評家=映画作家たちによって徹底して否定されるに至った。そうした変遷は、映画的言説の支配的位相という観点から、歴史的にきわめて重要な、かつアクチュアルな意義を有している。このような問題設定のもとに、私はこれまでの論考において(「『眠れるパリ』を読む-映画言説史に向けて」および「成熟と逆説-クレール論の変遷に関する一考察」、『映像学』、No.55と56)、クレールがサイレント時代に、その作品や評論を通じて“映画の自己反省作用”(=映画を通じて映画そのもののあり方を問い直す作用)を追求し、彼をめぐる批評的言説も、少なくとも第二次大戦前まではそうした特色を多かれ少なかれ認知していたことを明らかにした。
そこで今回は、戦後から50年代に焦点を当て、ヌーヴェル・ヴァーグの精神的指導者であった2人の人物を取り上げて、彼らのクレール観が体現していた映画的言説の位相を検証することにした。その人物とは、世界的に有名なフィルム・ライブラリーであるシネマテーク・フランセーズを創立したアンリ・ラングロワと、戦後フランスの最も重要な映画批評家であったアンドレ・バザンである。前者とクレールの協力関係を示す資料や、クレールに関する後者の評論を検討した結果明らかになったのは、クレールが抱いていた自己反省的な映画理念が、この時期には、片や映画史に対する啓蒙という点で高く評価されるとともに、片や彼の作家としての“円熟”ともあいまって、一種の閉塞への危惧を生み出していたということであった。こうした状況が、ヌーヴェル・ヴァーグによるクレール批判へとつながって行ったことは言うまでもない。
具体的な作業としては、1997年の夏季休暇中に、パリのアルスナル図書館に所蔵されている「ルネ・クレール資料」の調査を行い、帰国後ただちに資料の整理・分析を行って、既にその成果を下記論文において発表している。
研究成果の発表:回帰と更新-戦後のクレールをめぐる二つの視座
(『映像学』第59号、日本映像学会、1997年11月、p.73-90)