表題番号:1997A-053 日付:2002/02/25
研究課題中世フランス抒情誌の諸写本におけるテクストの性格―C写本の読みは底本に値するか―
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 助教授 瀬戸 直彦
研究成果概要
中世フランス抒情詩のオック語写本について、フォルテ・デ・マルセイユの校訂をC写本を底本として実現するという作業を通じて、その性格をさぐるのが私の久しい前からのテーマである。
 本年度は、まず4月末のロマンス言語学にかんするシンポジウムで、12世紀の詩人マルカブリュの一作品(PC, 293-18)をもとに、C写本と他の写本の提供するテクストの相違を検討してみた。従来じゅうぶんな形で活字にされることのなかったCによる本文は、他写本のしめすものに10近い詩節を加えて、かなりきわどい、それだけに解釈の困難な詩行となっている。この写本の編纂者(写字生)の面目躍如といった感があって、その饒舌な(原テクストに自由に付加するという)側面を照射できたのではないかと思う。
 つぎに、やはり古典期にぞくするトルバドゥール、ジャウフレ・リュデルの作品(PC, 262-1)について、文学研究科の紀要にしるした論文で考えてみた。Cとe(=Mh2)という2写本により伝えられる詩であり、内容に不可解なところがあるため従来のアンソロジーには採られてこなかったものである。さて、Cはこの作品末尾の第6・7詩節を収録していない。なぜだろうか。これはやはりCの編纂者の性格によるのではないか、というのが、私の結論で、以前ギレーム9世の作品について云々したときにも指摘した、その合理主義者としての削除の結果だと考えられる。自分にとって難解な部分は訂正してしまうか、それができないときは、ばさりと切って捨てる態度である。この論文のなかでは、この作品がもともとアベラールとエロイーズの伝説を想起しつつ書かれたのではないか、という私なりの解釈もしめしておいた。なお、C写本のこのような性格(やたらに長くする傾向と、難解の箇所を切って縮める傾向)については、98年3月に出版された『新村猛先生追悼文集』で、Cとaの写字生のメンタリティ(心性)の比較という観点からも検討してみた。参照されたい。
研究成果の発表
1998.3 「ジャウフレ・リュデルの「災厄の記」―第4歌の一解釈」、in『早稲田大学大学院文学研究科紀要』、t, 43-2, 1997. pp.25-44.
1998.3 「寡黙の饒舌―中世南仏の二人の写字生」、in『新村猛先生追悼論文集』、1998. pp.225-236.
1998(予定) 《Fals'amor de Marcabru selon un chansonnier occitan (PC.293-18)》,in Lesser-Used Languages and Romance Linguistics, Roma, Einaudi.