表題番号:1997A-047 日付:2002/02/25
研究課題デンマーク史に見られる小国民意識の成立過程について
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 文学部 教授 村井 誠人
研究成果概要
ここでいう“小国民意識”を一般論ではなくデンマークという国にとっての国民意識と限定する必要がある。一般的“小国民意識”という点では、1864年の第二次スリースヴィ戦争の敗北によって生じており、それでも欧州列強の力関係次第では、その舵取りでスリースヴィの奪還の可能性を考えることもありえた。ナショナルリベラルを含めた政府の存続は、その可能性にこだわったからである。ところが、国際的権力政治の中で、その座標位置が“援軍”さえ受けられようがないという認識が、政府及び上層階級から下層階級まで行きわたるには、やはり大きな衝撃が必要であった。そこには1871年のドイツ帝国の誕生を想定するだけでは解答はえられない。
 デンマークという国にこだわって“小国民意識”を論じる際に、前提となすべきは、第一次世界大戦終了時における徹底した禁欲的領土観の存在であり、敗戦国ドイツの復興の論理をも先取りした将来を見据えた“小国存続”のためのマヌーヴァ選択の国民意識の分析である。それは第二次世界大戦の終了時にも、そして、1955年のボン・コペンハーゲン宣言に至るまで生き続けた“小国の国家理性”に貫かれた発想法の究明にある。大いなる隣人ドイツとどのようにしたら自らが存続可能であろうかという認識の出発点の探求が大事である。
 そこで、注目するのは、1878年に独墺間でとりきめた“プラハ条約”の無効確認であり、これが公開された翌年にデンマークで反独世論が盛り上った際、(―デンマーク王クリスチャン九世の末娘がハノーファー家に連なる英国カンバーランド公と結婚することになる状況が生まれていた―)、ドイツにおけるデンマーク敵視世論の動きは、デンマーク国民をちぢみ上がらせたという。現実に、この時点から、デンマーク政府は反独言論に過敏となっていったようだ。
研究成果の発表
2000年3月 早稲田大学文系研究科、『文学研究科紀要』「デンマーク史に見られる小国民意識の成立過程」