表題番号:1996A-535 日付:2002/02/25
研究課題1920年代の大衆文化における軽演劇の舞踊と女性ダンサーの特性と社会的意義
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 人間科学部 専任講師 杉山 千鶴
研究成果概要
 1920年当時の資料によると、1923(大正12)年9月の関東大震災以後、映画館では休憩時間にオーケストラの演奏が行われていた。松竹を除いては1929年(昭和4)年1月電気館に藤田繁と堺千代子が「第1回電気館ボードビル」として出演、これ以後浅草の殆どの映画でアトラクションが上演された。1929(昭和4)年7月カジノ・フォーリーの旗揚げにより浅草レビューが開幕したが、レビューやヴォードビルは、既に映画館のアトラクションで上演されていたため、映画館の余興の単独興行と看做された。
 この映画館のアトラクションで上演された舞踊には石井漠、河上鈴子ら現代舞踊家や河合澄子ら浅草オペラ出身者のエロを売り物にした舞踊団、レビュー団の公演が認められる。上映広告では、女性は“エロ”“イット”の形容や脚部を誇張する表現が付いた。これにより、映画館のアトラクションの女性ダンサーが当時の大衆文化において、上演内容の芸術性如何とは無関係に、映画鑑賞のための頭休めに徹した視覚的刺激としてエロチズムを浅草の大衆に提供する存在として位置付けられ、また興行者側も十分に認識した上で広告を出したものと考えられる。当時の大衆文化では、女性のエロチシズムを含むものに安来節と浅草レビューの2つがあり、前者は土俗的なエロチシズムであり、後者は同じ視覚的刺激であるが、現実社会からの逃避と現状の閉塞状態からの脱出を刹那的に可能にさせるエロチシズムという違いがあった。またこの当時は女性が「家」即ち男性からの解放と自立を求めて様々な婦人運動を展開し、或いは職業婦人として社会へ進出した時期であり、身体を見世物化した女性ダンサーの存在は、モダンガールとの評判を得て時代の先端をいくかのように思われるものの、実質的にはそれも男性によって作り上げられた評判に過ぎず、飽くまで男性に隷属した、時代に逆行している存在であると突き止めた。