表題番号:1996A-531 日付:2002/02/25
研究課題日中戦争期「占領地」における日中関係史研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学部 専任講師 劉 傑
研究成果概要
 一九四〇年三月三〇日、汪兆銘を首班とする南京国民政府は「還都」という名の下に成立したことで、占領地政権づくりの工作が一応達成された。これ以後、終戦までの五年間あまり、日本は複雑な国際情勢の変化に応じて、汪兆銘政権との特別な関係を維持しながら、占領地の政治・経済運営、重慶との和平実現、共産党勢力との駆け引きなどを展開した。このような占領地を舞台とした日中関係を解明することが本研究の目的である。
 ところで、この課題へのアプローチの第一歩は、まず、汪兆銘政権の樹立に踏み切った日本の対中政策の実態を究明することから始まらなければならない。したがって、この研究は「占領地」における日中関係史の基礎研究と位置づけることもできよう。
 さて、汪兆銘政権樹立直前、さらに政権樹立後にいたっても、重慶に退いたとは言え、蒋介石国民政府は唯一中国の民心を把握していた政府であり、この政府と間に和平を実現しなければ、日中間の戦争終結もあり得ないという認識は、日本の政治家、外交官のみならず、陸海軍人の間でも、自明の道理であったように思われる。単純に言えば、日本側は、汪兆銘政権の無力と傀儡的性格を充分認識していたし、この政権との間にいくら日本にとって有利な条約や停戦協定を結んだところで、重慶政権が存続している限り、或いは重慶との間に和平が実現しない限り、所詮如何なる意味も為さない。それなのに、なぜ政権樹立に踏み切ったのだろうか。しかも何故に、真剣に汪政権との交渉条件を検討し、苛酷な要求を同政権に突き付けたのだろうか。傀儡政権を作り、しかもその弱さに乗じて、中国全土に拡大した日中対立をさらに増幅させるような苛酷な要求を受諾させることは、果たして日本にとって利益だったのだろうか。
 単純に考えれば、重慶政権を牽制するためにも、比較的緩やかな条件で汪兆銘グループとの交渉に臨み、日中和平の実績を世界中に顕示することは日本にとってより有利であったことは言うまでもない。
 そこで、私は「汪兆銘政権の樹立と日本の対中政策構想」(『早稲田人文自然科学研究』第50号、1996年10月)という論文をまとめ、無力と知りながら、なぜ汪兆銘政権の樹立に踏み切ったのかという必ずしも充分に解明されてこなかった問題に焦点を絞って、汪グループに厳しい要求を出したことの意味は何か、また、汪政権の樹立によって如何なる効果が期待され、さらに如何なる戦後秩序を構築しようとしたのかなどの問題を明らかにした。さらに、汪兆銘政権の樹立と同時に展開された「新党運動」にも言及し、いわゆる「汪兆銘工作」の本当の意味を解明することに努めた。このような作業を通じて、日中戦争期の「占領地」政策の本質もより一層明からになり、新年度以降の研究課題への基礎準備も一応完成されたと言えよう。