表題番号:1996A-309 日付:2002/02/25
研究課題「南方派遣宣教師」宮平秀昌の研究
研究者所属(当時) 資格 氏名
(代表者) 社会科学研究所(現アジア太平洋研究センター) 教授 後藤 乾一
研究成果概要
 本研究は沖縄県座間味島出身のキリスト者宮平秀昌の思想と行動を、次の二点から解明しようとするものである。(1)沖縄出身の一知識人の宗教観、国家観、アジア観、(2)日本・インドネシア関係史の中での「南方派遣宣教師」の役割とその評価
 研究に際しては、宮平が一般的には無名の人物であるため御遺族や関係者とコンタクトをとることから着手した。幸い宮平夫人が病弱ではあるが記憶力も鮮明で、かつ相当な量に及ぶ関係資料を所蔵されており、その閲覧複写を許されたことは貴重な成果であった。なお宮平については同志社大学神学部の原誠教授の秀れた序説的先行研究があるが、同氏からはその他にも種々の御助言を頂くことができた。現在までに明らかにされた諸点について以下に個別に記しておきたい。
 (1)昭和初期に蘭領東インド(現インドネシア)に伝道のため渡南した宮平は、キリスト者であると共に熱烈な日本主義者であり、そのことが主因となりオランダ植民地政府より追放処分を受ける(1938年)。沖縄出身であること、キリスト者であること、そして日本主義者であることとの関係を今後どのように解明していくか、大きな検討課題である。
 (2)前大戦中の日本占領期に、宮平は海軍の委嘱を受けてキリスト教徒宣撫工作のためセレベス(現スラウェシ)に派遣される。ここでも、一方において軍部への協力という側面とキリスト者として現地キリスト教徒を日本軍の圧迫から保護するという役割の二重性を見出すことが可能である。
 このように宮平秀昌はある意味で「矛盾」にみちた人物であり、今後はこれまで入手し得た資・史料を分析しながら、彼について複眼的な視点から考察を深めたいと考えている。